Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

真田丸

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まずい!
怒涛のような諸般の事情で(以下略)12月が終わってしまうー!

とりあえず広告回避で記事をあげておかねばならぬ。
よし、11奮戦記はおいといて(こら)こないだ最終回をむかえた大河ドラマ「真田丸」でお茶を濁す!

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クリックで3倍

実は、今年自分がどんな言葉を呟いていたかというのをツイッターのUserLocalというアプリで調べてみたらこんな状態だった。


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9割がたドラマ関連、しかもなにこの真田丸率(笑)
いや、前半は「重版出来!」と「ムジカ・ピッコリーノ」、夏ごろは映画「湯を沸かすほど熱い愛」「オーバー・フェンス」とかでほぼオダギリ三昧だったのは確かだ。
しかし、やはり1年通しての大河ドラマは強いな。
何しろ第1回から最終回まで、1回も不出来の回がなかった。毎週毎週「ここが面白かった!」って呟きまくっていたのだからやむなし。
そして文字の大きさから推し量るに、ワシの愛は

秀吉>三成・三谷>家康

という順であったようだ(主役ちっさ!)


惜しまれつつの最終回【真面目な感想】

幸村はなぜ一騎打ちに出たか

幸村は茶々に「望みを捨てなかった者にのみ、道は開ける」と諭した。
諭された茶々は最後まであきらめずに生きる道を歩こうとあがいた。
でも肝心の幸村の「望み」は生き残ることでも勝つことでもなく、ただただ徳川家康を討つことだった。

それまで信繁は「真田幸村」として大坂城へ行き、「負ける気がしない」「勝つために来た」という言動を貫いてきた。
なのに最後なぜ生き残る道をまったく選ばずに家康に挑んだのか。
彼の行動原理は視聴者にはわかり辛いところがあった。
それは彼が死の直前まで、あくまでも【豊臣家の家臣】として行動していたからではないかと思う。

妻の戦死、秀吉への恩義、石田三成や大谷吉継への思い、父の無念、そして家族への愛、茶々や秀頼や牢人衆の願い。
さまざまなものが彼をしばり、「義に生きる真田幸村」を作り上げたのだと思う。
「真田幸村」は望まれて出来上がった理想の戦国武将だ。

しかし、実のところ彼の本音は妻・うめや父・昌幸の死に対する「徳川への恨み」だったのではないだろうか。
「儂を殺しても何も変わらん」と家康に言われて「百も承知!」と返す幸村。
たぶん彼はこの時、はじめて「自分のため」に行動したのだ。
真田の次男坊でもなく、秀吉の側近でもなく、知将・真田幸村でもなく、ただ真田信繁として。

そして、道は開けたのだ。

「滅び」は美しいのか

「私はこの世にいた証を何か残せたのか」
「大事なのはいかに生きたかでございますゆえ」

彼を必要とする人々のために最善を尽くし、そしてもはや手が尽きたその時、彼は自分自身の願いを叶えるために走った。
その生き方は一見さわやかで、とても感動的だ。
しかしよく考えればただの自己満足、残された家族や身近な者にとっては身勝手このうえない言い分でもある。

真田一族の次男としては「兄を守り立て一族を守る」という使命を果たせなかった男だ。
豊臣家の家臣としては、秀頼を頼むという秀吉の遺言を守れずに終わった男だ。
結局、彼が選んだのは無念の死を遂げた父・昌幸の「幸」の字と、妻うめの残した六文銭。
徳川に殺された父と妻と友人たちのために家康を討つということだった。

それはある意味虚しい復讐ともいえるかもしれない。
ただ己ひとりが「日の本一の兵」として名を残しただけとも言える。

でもその「生きた証」が400年後の今にまで「真田幸村」伝説として残っているのだ。

三谷幸喜は大河ドラマでふたつの「滅び」を描いた。
新選組!では近藤勇が、真田丸では真田幸村が首を落とされて終わる。

大勢に逆らい滅びの道を選ぶ。
そんな生き方は、時代によって賞賛され、あるいは否定される。
近藤勇の死は「無駄死に」だったと思われるだろう。
信繁の最期にも異論はもちろんあるだろう。
しかしその自己満足的な生と死こそ、家のために裏方で終わった叔父・信尹が、家のために己を曲げた上杉景勝が、「天下を分ける大戦をしたかったと嘆く伊達政宗が、そして幕臣として己の義を貫きたかったのにできなかった数多の武士たちが、諦め、捨てざるをえなかった夢だ。

滅びは決して美しくはない。

ただ、信繁がずっと尊敬し、そのように生きたいと憧れた信尹と景勝。
「自分のようになるな」と信繁に忠告したふたりが、「真田幸村」の死に溜飲を下げた。
以て瞑すべきではないか。

真田の父子の物語

「偉大な父をもった息子の苦悩」というテーマに対し、
勝頼は父に詫びながら家を滅ぼした。
信之は父とは違う生き残る道を選んだ。
信繁は父と同じ滅び行く戦国武将としての道を選んだ。
秀忠は父を救い、幕府を存続させた。
秀頼は父の名の影に潰えた。

その最期のシチュエーションから明らかなように、冒頭の武田勝頼の暗示は信繁を指していた。
しかし、現代において「真田昌幸」といえば「真田幸村(信繁)の父」と認識されている。
信繁は父を超えた。
さらにいえば真田の家名は信之が守った(血は絶えてるが)。

「父と息子」というテーマに対し、真田兄弟はきっちりと答えを出したのだ。


【真面目な感想終わり】


まあそんなわけで、最終回あんまり感激したもんだから、基本オダギリしか描く能のないこのワシが思わず描いてしまったのが上の丸絵。
番組視聴後に我慢できなくていきなりPoser立ち上げてhisayanさんの当世具足だのsannziさんのガラスの鹿(のツノ)だのあれこれくっつけて描いた。正直形状的にはものすごく微妙。

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素のレンダ画像はこんな。
堺さんだと思ってはいけない(笑)


それにしても、とことん良い脚本の素晴らしさを味わえるドラマだったなあ。
なんといっても歴史への愛と敬意と、大河ドラマへの愛に満ち満ちていた。
どの登場人物も必死で生きて、精一杯生きて死んだ、魅力的な人間として描かれていた。

・これまでほとんど取り上げられることがなかったのにたった2回の登場で人気爆上げだった武田勝頼
・これまでほとんど取り上げられることがなかったのに関ヶ原のキーマンにまでなった板部岡江雪斎
・これまであまり取り上げられず、あっても無能扱いだったのに「超いい人」枠で人気急上昇した滝川一益
・さらにこれまでほとんど非道鬼畜扱いばっかだったのにすっかり視聴者に愛され惜しまれる羽柴秀次
・清々しいまでの阿諛追従っぷりの裏で果てしなく ずんだもち愛 男前だった伊達政宗
・気持ち悪いことこの上ないのになぜか忘れられない北条氏政
・ワシが絶対好きになれない人物筆頭だったはずの徳川秀忠(とお江)

なんでみんなこんなに可愛いのだ! 嫌えないじゃないかー! ヽ(`Д´)ノ

そんでもって最後の最後に「こいつだけはワシ嫌いやねん」と挑んだ大野修理が! あんなにも男前に(やらかすけど)なっちゃうなんて!
いやあもう完敗でしたよ!
三谷マジック凄い!

そんでもって一年ぶん最初から筋道立ててる脚本構成。
伏線という伏線をきっちりがっちり拾いまくっててもう緻密(エピソード)と大胆(真田目線限定)が入り乱れてて惚れる。
何しろ放送直前スペシャル動画の「ダメ田十勇士」が当たり前のような顔で最終回に登場してて、
「やっぱりうちの殿様は最高だー!」って言ってて泣いた。



最終的に三谷脚本の前に全土がひれ伏した感がある。

ドラマとは物語とは「ああ面白かった!」と思わせるためにあるものなんだな、と改めて認識できた一年間だった。

みんな頑張ろう

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幸い我が家は被害も少なく、なんとか無事だった。
すごく心配してくれた友人たち有難う。

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いま、まだ二次災害に被災している方たち、
まだ連絡とれない友人たち、どうかどうか無事で。

ちょっと熱いぞ

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「龍馬伝」について、全然感想じゃない感想。

まごうかたなき佐幕派人間としては、
自分は武市半平太という人間がそもそ大嫌いなんだとか、「天誅」言う奴に碌な人間はおらんとか
以蔵はもっと不細工でゴツくないととか
容堂公何歳の設定なんじゃいとか東洋様亡き後土佐に用はねえとか
そういう感想をことさらブログに載せる気はさらさらなく(おい)
友人へのメールで思いのたけをぶちまけるに留まっていたのだが。

先日の放映で、ようやっと神戸に設立された海軍操練所から
「尊皇攘夷の意を捨てがたく」望月亀弥太が京に走り、
それを連れ戻しに龍馬が走る、という展開があった。

まあ正直、自分も「誰一人いなくなっていい仲間なんていない」という龍馬の演説は、
あまりに子供じみていて小学生の学級会かよとは思う。
ちょっと論点ズレてねえか、そんなことより攘夷派残党のクーデター計画ってとこににもうちょっと反応しようよ?(笑)
と思ったけどそこはそれ、「仲間なんだから友達なんだから」
という、当時の武士には基本なかった龍馬の斬新な「きれい事」が浮き彫りにされるわけで。
そういう意味ではあの龍馬にブレはない。

龍馬がこんな低レベルな事でつまずくなんて、という不満はわからないでもないが、
むしろだからこそ龍馬なんじゃないのか。
これは司馬遼太郎の「竜馬」ではないのだ。
あんな迷走している時代に、本当の意味で「この先」を見通していた人間なんていなかったと思う。
生き残った連中が「オレは(あいつは)あの頃ちゃんと先を見据えてた」と言い張ってるだけで。
だから、龍馬が何もできずにジタバタしすぎだ、と言われたって、そりゃそうだろうと。
だってあの時代、あの立場の龍馬にできる事なんてなかったんだから。
出来ない中でジタバタするしかないんだから。
ついでにいえば、あの時点で龍馬は武将でもなければ政治家でもない。
その後も武将にも政治家にもならない。
というか、彼はもともとそんなものを目指していないわけで、
いずれ「会社組織」を作って貿易活動をめざしていかんとする人間が、
(しかもまだそんな段階までいってないのに)
あそこで「目的のためには人を切る」的な判断をしたらいけないと思う。

他の訓練生の「本人が決断したことだから」という醒めた目線や、
横井小楠の「小事を捨てて大事を取れ」的意見は、一見冷静な判断だし、正論だけど、
正直自分はそういう人間には命を預けられない、と思う。
溺れてる人が目の前にいるのに、冷静に二重遭難を心配する人より
とりあえずロープ探してジタバタしたり、「誰か助けてくれよ!」と叫ぶ人の方が、自分は好きだ。
そりゃあ、イマイチ頼りにはならないかも知れないけどさ(笑)

冷静な判断と行動というのは、知識と経験があって、初めて取れるものだ。
だけどそれ以上に、その底に熱い気持ちがなかったら、そもそも不可能なものだ。
知識と経験は、熱い思いで行動して失敗して、何度も何度も後悔をした人間でなくては
手に入れられないものだからだ。
最初から冷静な人間がいたら、それは冷静なんじゃなくて冷たいんだと思う。
他人の生命を「小事だ」と言える人間、それは、要するに
武市半平太と同類っていう事なんじゃないのか?
根っこのところが熱くない人とは、一緒に行動できないよ。
いつ冷静に見捨てられるかわからないじゃん。

って、なんで自分がこんなドラマに、こんなにもムキになっているかというと、
あの龍馬に対する「なんだかなあ」という意見の底流に
宮崎県の口蹄疫に対していまだに無関心でいられる人間と同じ視線を感じるからなのだ。
「本人の問題でしょ」
という言葉が、実にもって、今の日本の一番の問題点なんじゃないのか。
見捨てたら、おまえ自身の問題だ!

と、いうわけで。
それとこれとを同列に並べんな、という意見もあるかもしれないが、
自分にとっては同じ腹立たしい事だ。
冷静に情勢を見極めて間違いのない判断を下そうとするあまりに
他人に関わろうとせず、そんな自分を「自己責任だから」と正当化する人間達と、
平井兄・武市・以蔵とのきなみ助けたいと悶え騒ぎ立て、
騒ぐばかりで結果何もできずに落ち込んではまた同じ事を繰り返すバカ龍馬。
どう考えたってバカ龍馬の方が可能性を信じたくなるではないか。
いつかはなんとか仲間を救えるように成長してくれるんじゃないかと思うじゃないか。

……まあ、後の饅頭屋とか考えると微妙にアレなんだが。

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せっかく出てきた新選組はスルー。
だって斎藤いないんだもん。

意外と収穫はあったような

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前回のエントリでフィギュアスケート男子シングルの結果について、思うところを述べた。
長年のフィギュアファンというだけで、何の知識や経験があるわけでもない、
素人の拙い意見にも関わらず、想像以上に多くの方から反応をいただいてびっくりした。
コメント以外にもメールやチャットで「同意」の声をかなりの数いただいき、
さすが五輪効果と感心したり(笑)
たま~に、そりゃもう何年にいっぺんあるかないかという、希少な「本気モード」だったので
同じように疑問を抱いた方や、結論はやや違っても同じ思いの人たちと語り合えて
非常に心強く、嬉しかったですありがとう。

あれから一週間。
「とりあえずアイスダンス終わらんとな」
「……じ、女子シングルの結果出てからな」
「…………まだ……エキシビションまでは一応……」
と、だらだら静観し続けて、現在に至る。

そして書くべきことは何もなかった。

……フィギュアスケートは死んだ。
エキシビションは壮大な鎮魂歌に包まれて、日本列島湾岸図とともに消え去っていった……。

いろいろ言いたいことはあるが、ありすぎて何から書いたらいいかわからん(笑)
もうネット各地でさんざん炎上している事だし、今更あえて触れる必要もなかろう。
とりあえずソチで、いや世界選手権で、埋葬寸前状態のフィギュアスケートが蘇生してくれる事だけを切に願う。

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今回の五輪によって自分が個人的に得たもの

・思わぬ身近に隠れていたフィギュアファン同志数名(笑)
・そのうち一名がどこか(笑)で配布しているスケートブレード(靴なしpropなのでどのフィギュアでもオッケー)
・これまで「死んでも入るものか」と思っていたニコ動に速攻加入して発見した過去の超絶フィギュア映像
・韓国ネラーが八百長と勘違い誤爆した801板の悶絶対応(笑い死んだ)

今回の五輪によって自分が個人的に失ったもの
・和風展までの時間

プルシェンコは敗れたのか?

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フィギュア男子フリーの決勝は本当に凄かった。
これでもかという実力派がしのぎをけずる接戦。
どの選手もそれぞれにドラマを背負っていて、とても見ごたえのある決勝だった。

が、微妙に納得できなかったことがある。

最初に言っておくと、優勝したエヴァン・ライサチェックは堂々としたものだった。
「4回転を跳ばない」と明言したあのプレッシャーの中、さらに第一滑走という重圧の中、
完璧な演技を保った精神力には頭が下がる。

だが、果たしてプルシェンコの演技は、ライサチェックに破れたのだろうか?

世間の話題が「4回転ジャンプ論争」に集中しているせいもあり、
誰もが「4回転を跳ばなかったライサチェックが勝利した」という受け止め方をしている。
これが納得いかない。

確かにショートプログラム後の記者会見で、プルシェンコは

「(4回転を跳ばなかったら)われわれの進歩は止まる」

という発言をした。
この時点で2位だったライサチェックへの皮肉ととれる内容だ。
物議をかもすのも仕方ないし、むしろそれが目的だったのだと思うw
ライサチェックはそれを軽くいなしたけれども、
三位につけていた高橋選手がプルシェンコの意見に強く同意した、というのが非常に印象的だった。
「4回転を跳ぶ」ということは、彼ら(審査員ではなく)にとってどういう意味を持つのか。

正直言うと、私は4回転必須という件については否定的だ(笑)
4回転が跳べなければ資格がないと言われたら、その他の要素がすべて否定されるじゃないかと思う。
カナダのジェフリー・バトルの

「ジャンプだけではない、4分30秒の間に行われるすべてがフィギュアスケートなんです」

という意見に、今でも賛成だ。
しかし、今回のフリーを見てちょっとだけ考えが変わった。
「4回転を跳ばなければ」というのは「4回転を跳ぼうとしなければ」
と言う意味であり、積極的に上の水準の技に挑戦することの意味を問うているではないだろうか。
難易度の高い技を取り入れても、失敗すると減点される、という現在の採点方法では、
4回転に失敗した時のリスクが大きすぎる。
これでは誰もが4回転を回避し、無難にまとめることに終始してしまうだろう。

観客がスポーツに求めるものは、技術の高さだけではなく「感動」だと思う。
それは「同じ人間とは思えない技術」「それに挑戦するあくなき努力と決断」
「ギリギリのプレッシャーの中で結果を出す精神力」
そういったものへの尊敬と憧憬と共感だ。
常により高い水準の技へ、より新しい技へと前進する姿勢とその結果に、
我々は鳥肌のたつような感動を覚えるのだ。
だとすれば、「危険を回避した、安全なプログラムでメダルがとれる」と思われてしまったが最後、
フィギュアスケートに未来はない、と思う。

テクニカルジャッジの天野氏の
「優勝したライサチェックは新採点システムの申し子だ。
 能力を最大限に得点に結びつけるプログラムを演じた」
という評価が、現在のフィギュア界の問題点を物語っているように思う。

そういう意味では果敢に4回転に挑戦し、転倒してもそれをフォローするだけのプログラムを組んできた
高橋選手に心から喝采を送りたいと思う。


あと開幕前から「休んでいた選手がいきなり優勝していいのか」みたいな意見が漂ってたのが不満だった。
自分は昨年秋に復帰を表明したプルシェンコが、いきなりヨーロッパ選手権で優勝をかっさらっといて、

「三年間がんばってきた選手に勝てて嬉しい」

と言ってのけた姿にシビレた口だ。
なんってイケズ!(笑)
そしてなんてカッコイイんだろう!
これこそ常に挑戦し、戦う人間としての、理想的な態度だ。
己への自負でもあり、ハッタリでもあるだろう彼の数々の発言(「自分はすでに伝説を作っている」とか)は
フィギュアスケート界への注目を高める、素晴らしいパフォーマンスだと思う。
これに乗らなきゃ女(男)じゃない!
天才の天才たる行動に、わけのわからんケチつけんな。

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自分がこれまで好きだった男子選手は
カート・ブラウニング、エルビス・ストイコ、フィリップ・キャンデロロといったあたりだ。
並べるとはっきりわかるけど、表現力が群を抜いて秀でた選手ばかり。
今回のプルシェンコ、ウィアー、高橋の三人の演技はその流れの上にある。
技術の上にエンターテイナー的な要素を加味している選手こそ、ホンモノだと思う。

で、「4回転だけの人」と言わんばかりのプルシェンコへの扱いが非常に
ひっじょーに!
気に入らないんである。

プルシェンコという選手の特筆すべき点は、何よりもその総合的な質の(驚異的な)高さにあった。
女子だけのものだったビールマン・スピンを軽々とこなし、
驚異的な速さと繊細なエッジワークのステップを誇り、
ニジンスキーの再来とまで言われる表現力をもって感動を生み出し、
その上でどんな難易度の高いジャンプでも決して失敗しない、という総合的な技術力を持つ選手だ。
だからこそ「不動の王者」と言われ「帝王」と呼ばれてきたのだ。
あの傲慢なパフォーマンスもその実力あってこそ。
男子フィギュアを「芸術」の域に高めたのは他ならぬプルシェンコなのだ。
完成度の高さなんてのは当たり前の事実とした上で、次の水準に挑戦しておるのだ、ヤツは。

その彼がどうして「4回転」にあれほどこだわるのか。
こだわったあまり、本来ならもっともっと見せられたはずの
ステップワークや演技プログラムを犠牲にせざるをえなかったのか。
その意味をもう一度考えなおせISU!

あとな、完成度完成度言うならコンパルソリ復活しろってんだよ!