Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

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蹴散らして前へ進め

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さて、今年の大河ドラマ「八重の桜」も最終回を迎えた。

不満はもちろんたくさんあるけど(笑)、「ここをこうして欲しかった」とか「なんでこの人がいない」とか、いちいちあげてたらきりがないので割愛。良かったところはもっとたくさんあったし、すごく楽しめた。
なんたって維新を会津目線で、そして容保様を大々的に取り上げてくれただけで、会津スキーにとっては有難くて拝みたい話だったんでねえ。
それと、荒廃した京都が教育をもって復興していく話なんて、明治史に興味ゼロだった自分はさっぱり知らなかったので、実に興味深かった。

ただ、これは前回の感想を書いた時に(文量の都合でw)入れられなかったのだが、あえて不満をあげるとしたら、第二部京都篇の内容がどうにも焦点がボケて微妙だった点だ。
これを「会津編が長すぎたから」で終わらせる向きもあるが、自分はそうは思わない。
確かに配分がおかしかったとは思うが、会津が朝敵にされて滅びるまでの過程はあれくらい丁寧に描かないと、当時の事情を薩長史観でのみ見ている人に納得させるのは難しいからだ。

たぶん物語として第二部は新島襄を中心とした物語であるべきだった、と思うのだ。
なぜなら、新島襄、松平容保、山本覚馬、山川浩、山川健次郎という、明治編の縦糸となったこれらの人物群の中で、ただひとり「武士であることを否定した」武士が新島襄だからだ。

武家の理屈で成り立っていた旧時代が終わり、想像を絶するスピードですべてが変化していく新時代に、旧武士達は薩長も会津もなく右往左往する。それまでの価値観の崩壊と、自我の目覚めうんぬんについては(ヘタレ蘆花の)駆け落ち回で書いたとおりだ。
しかし、新島襄だけは最初から身分社会を否定し、武家の理屈から脱却しているのである(なにしろこの男、武士の魂たる刀を渡米中に売っ払っている)。

なぜ彼が密航してまで祖国を脱出したのか。なぜ武士であることを否定し、キリスト教徒になり、そしてなぜ学問をもって祖国を復興しようと考えたか。
その新島襄をきちんと描けていれば。
さらにいえば、幕末に吉田松陰が投げかけた「西欧文化の取り入れと学問による改革」という問いを、明治に受けて実行しているのが新島襄だともいえる。
そのへんの筋がストーリーの中で描かれていたなら、第二部はもうちょっと収まりが良くなったのではなかろうか。
そこんとこちょっと残念だった。

まあ、そんな重要なはずの襄先生がエピソードはしょられまくった脚本であってすら、オダギリジョーという役者の存在感は十分に視聴者に伝わったようなので、とりあえず良しとする。

オダギリ良ければすべて良し!(結論)

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それはそれとして、作品全体の総評を過去まで遡ってまとめる気力はもう残っていないので(笑)今回の突っ込みどころをあげると

1.ラスボスが蘇峰かよ!
2.蘆花wwwどの面下げて「人間の真実」とかwwww

3.慶喜公とユカイな仲間たち

あたりなんだが、1、2らへんはもう省略する。この兄弟には本気で突っ込むほど興味ない(酷)
なんたって慶喜公・春嶽公・勝センセイ、これですよこれ!
もー、ちゃっかり撮りおろしのシーンなんか入れてもらっちゃってこのおっさんたちは憎めないよなーw もうおまえらまとめて地獄行き決定な!

とりわけ、再三辞退してるにも関わらず病床の殿を叩き起こして口説くわ脅すわもうその時点で有罪確定なわけだが、最大の悪行は御家訓を盾にした脅迫行為!
「あの愚直さが仇とならねばよいが」
とかどの口がいうのか春嶽公! お前だ、お前が諸悪の根源なのだ! あの世で横山様と西郷様に簀巻きにされてくるが良いわ!

そしてゴリ押しで守護職受けさせた容保様の忠誠を主上と張り合って嫌がらせのストーカーもどきまでしておいて、いざ敗色濃厚となると速攻で切捨ててその理由が
「会津の愚直さが怖かった」
じゃねえぞ慶喜公! あいかわらず論点のすり替えが上手すぎて笑うしかないじゃねーか(笑)

そしてその慶喜公のあとをついで会津を人身御供にした勝センセイ。
憎めないけど好きにもなれないんだけど襄先生にツンデレだったしまあ許そう。生瀬さんの声好きだし(関係ない)
「信義で結ばれた主従の絆が、わしには手に入らぬものであった」とか自虐ネタとばす慶喜公に黙って平伏ってそれ無言の同意? 同意だよね? あれか、「御意~」ってことでよろしいか?

なんだかんだいって最終回まで突っ込みいれさせてくれる慶喜公は、ある意味「八重の桜」ベストキャラではなかろうか。

ところで、ラストシーンが「意味わからん」「天を撃つって天に唾してんの?」という意見を見かけたけど。
あれって天を撃ったのか? 立ち込める暗雲を撃ったんじゃないの?
「闇の中にも小さな穴がひとつあれば、光がひと筋差し込んでくる」という、会津城攻防戦の最中に山本父が残した言葉を受けた象徴的なシーンだと自分は思ったんだけど。
時代におおいかぶさる暗雲を「蹴散らして前へ進め」というメッセージだよね?
そんなにわかりにくいかなあ。
つーか何でもかんでも説明してもらわないとわからんのか? 自ら考える人であれと、襄先生も山本兄も言ってたろうに。近頃の若いもんはぶつぶつ(爺)

まあ、なんにしても久しぶりに一年間楽しめる大河だった。
襄先生が天に召されるシーンでは号泣しそうになったし、殿や山本兄の逝去回は感動したし、西郷様との再会では思い出の会津効果でうるっと来たけど、ラストでは涙の気配もなかった。
だが、この明るくて前向きで、その底に人間のしたたかさがある雰囲気こそが「八重の桜」だなと思う。



ちなみに最終回直前のスタジオパークでVTR登場したオダギリ。
49回での襄先生の幽霊シーンは本人的には「必要ない」一択だったようだ。

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思った以上に天使成分は抜け落ちていたw

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非戦と反戦

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いやあなんちゅうか、ラスト二回はいろんな意味で感想書きにくそうだな~と覚悟はしてたんだが、ホントに書きにくいな(笑)

まず「戊辰戦争全否定か!」と各地で罵倒の的になってる、覚馬の「戦うことを学ばず」発言については‥‥正直いうとちょっとよくわからない(笑)
全否定とは思わないが、なんであんな事いわせたんだろうな?

ただ、かつて、開戦への道をまっしぐらに辿る会津藩内において、数少ない非戦論者であった覚馬にとって、「戦うことを学ばず」という言葉が単純な反戦論であろうはずもない。

そもそも彼は、公用人時代から常に「国内で争うべきではない。現在は列強の脅威にそなえるべき」と説いて薩長との和合を画策していたはずだ。
だからこそ開戦を止められず、会津が滅ぼされるのを傍観する事しかできなかった己のふがいなさを責めていただろう。
これまで、ただの一度も会津を訪れることを己に許さなかったのは、自分が救えたかもしれない会津を救えなかったことを愧じて、悔やんでいたからだろう。

「会津魂を忘れたのか」と憤る健次郎博士に、
「誠意を尽くすことは尊い。だが、それだけでは人を押しつぶす力をはねかえすことはできねぇ」
と返す覚馬の言葉は、自分には
「もちょっとうまく立ち回ればよかったんじゃね?」
というふうに聞こえたのだがどうよ?

ぶっちゃけ「会津には戦をせずに済む道もあった」と言われても、偽勅を奉じたあげく無理押しの因縁つけられて、何が何でも開戦に持ち込まれた会津にどういう道があったのかとは思う。
少なくとも西郷隆盛はそのへんを自覚したうえで会津を追い詰め、犠牲にした。
戦うことでケリをつけようという武家の理屈ではもう日本という国は立ち行かないから、そうしなくていい世の中にするために戦って政権を奪い取る、という矛盾を、矛盾のままに実行した。
そして自分自身も武士の時代の息の根を完全に止めるために西南の役を起こした。
それに対して「どうすべきだったか」と問われても、覚馬自身が内心「武家の時代は終わるべき」と思っていた(たぶん)以上、答えは出せなかったんじゃないだろうか。

実際、劇中で、覚馬は答えを見出すことができなかったようだ。
その上で、同志社の若き卒業生に後事を託して終わっている。
「いかなる力にも、その知恵で抗い、道を切り拓いてください」
覚馬の問いかけは、現代に至ってなお答えが見つかっていない。ひょっとするとこの先も答えの見つからない問いかもしれないが、それでもその答えを探し続けなくてはいけないのだ。我々はすでに武士の時代を脱却した人間なのだから。

若い世代にこの課題を託すことで、託せるような世の中に変えられたことで、最期に「やっと、帰れんな。皆が待ってんべ」と会津弁でつぶやくシーンは、とても美しかったと思う。


一方、容保様の「過ち」発言。
これもまた、戊辰戦争を否定したものではなかったように思う。

「昨年『平清盛』で始まった武士の世が、今年『八重の桜』で終わる」というのは、この番組始まった当初に笑い話として言われていたことだが、ドラマの終盤に至って、確かに武士の時代が終わったという感慨がある。

それは、単に政権が武家から人民に(実際は違うが)移行した、という意味ではない。「武士の理屈」で世の中が動く時代が終わった、という意味だ。

武士の理屈とは、要するにほれ、歴史の時間に習った「一所懸命」というやつだ。
平たくいえば領地を守るために、そして領地を与えてくれる主君を守るために戦うことが武士の仕事なのだ。
なにしろ侍はそのために扶持を貰っているんだから当然だろう。
さらに、江戸時代になるといわゆる「君には忠、親には孝」という朱子学の思想が加わる。
覚馬が「大君の儀‥‥」と述べた瞬間、健次郎と八重がさっと居住まいを正したことでもわかるように、少なくとも幕末の会津においては、武士とはいかなる行動をすべきかという教育が徹底していた。
現代の人間が「平和は善、戦争は悪」とする思想とはベースがまるっきり違うのだ。

会津の行動原理は、間違いなくこの「武家の理屈」の上に成り立っている。

「そもそも徳川家なんて盟主に過ぎないんだしー、ってか俺らの主は本来帝なんだし!」
などと260年を遡った言い訳を強弁できる外様大名とは違い、徳川こそが「土地を与えてくれた主」である親藩の会津にとって、帝と将軍、双方を守り戦わなければならずという状況はかなり苦しいものがある。
公武合体がうまくいってれば何とかなったかもかも知れないが、あいにく頼みの綱の帝が亡くなってしまっては、会津のたどるべき道はどう転んでも破滅だっただろう。
運が悪いといえばこれほど運の悪い人もいないだろうが、この矛盾に対応できる柔軟さに欠けたことを、容保公自身は終生後悔していた。それが「戒め」だったわけで。

徹底抗戦を選んだことで、戦いに万全の体制を整えずに開戦に踏み切り、結果的に藩士を路頭に迷わせ、領民に大変な迷惑をかけたことは事実だ。
藩主たるものそれを「過ち」と思わずしてどうする。

しかし、そうまでしても守るべきものは、確かにあったのだ。
それが武家の矜持というものだ。
そして何だかんだいっても藩士たちは、殿様のその意思を是として共に戦ったわけで。
その会津の意地を、忠節を、矜持を、後世に伝えて欲しい、ただし自分の判断はそのために藩士や領民を地獄に追い込んだ、そのことも伝えよと。

公は守るべき主君と藩士と領民を守れなかったことを悔いていたのであって、断じて薩長に抵抗したことを悔いているのではない。

だからこそ、山川様の
「あんとき会津までが徳川を見捨てていたなら、こん国に誠の武士などはいなかったことになります」
というセリフが生きるのだ。
山川様のセリフがすべてを語ってるじゃないの。
武士の時代の終焉に、武家の理屈をもって抗ったのが会津だったと。

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ある意味、戊辰ではなく西南の役こそが、明治維新の本来の戦だったのかもしれない。
武家の理屈が本当に滅びたのはあの戦いにおいてだった。

その上で、「武士の時代」から「平民の時代」へと移った明治時代だが、結局は武士の時代と同じ理屈で同じ「戦」へと押しやられているのが実情だ。
戊辰戦争が起こるべくして起きたように、日清戦争もまた戦いの火蓋は切られてしまっている。

自分は主人公も、容保様も、覚馬も、戦う事を否定していないと思う。
彼らの主張をあえて意訳するなら
「負ける戦いはするな。やるなら万全を期せ。むしろ戦わずして勝てるようになれ」
という事ではないだろうか。
少なくとも八重さんは「浮ついた気持ちでは、イザっつう時に役に立たねえ」とやる気まんまんだ(笑)

後世の我々の目から見ても、「戦はいやでございます」と自己中心的に叫ぶだけのお姫さまより
「戦争はしないほうがいいが、起きてしまったからには出来ることを全力でやる」
という八重さんの方が断然好感持てるよな。
そしてそういう八重さんを育てたのが覚馬なんだから、やっぱ覚馬も同じ考えなんじゃないのかなあ。

まあ、そんなこんなで脚本を擁護するわけではないが、否定もせんなあ。
(御宸翰の扱いと「会津戦記」だけは物申したいけどな!)

ていうか、敗者の責任うんぬん言うならむしろ

慶喜公がぜんぶ悪くね?

ってことでどうよ。


ところで、大河名物心霊シーン(笑)

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「組!」では源さんがくっきりはっきり幽霊だったし、「江」の信長とかね、見てるほうがいたたまれなかったし。
「清盛」なんか忠盛に崇徳院に祗園女御に、しまいにゃ西行法師がイタコになってたもんね。
その点「八重の桜」ではあえてはっきりと人物を映さず、壁に映った影と、そのまま振り返らずに終わらせることで、
「これは八重さんの心象風景なのだ、決して心霊シーンじゃないのだ」と、一線引いていたのが良かったと思う。

「亡くなった人はもうどこにも行きません。あなたの傍にいて、あなたを支えてくれます。
あなたが幸せであるように。強くなるように」

前回の感想でも書いたが、かつて襄先生が八重さんを癒したこの言葉が、
ふたたびすべてを失った八重さんを救い、奮い立たせる演出はとても良かった。

死してなおヒロインを、そして視聴者の荒れた心を(笑)癒してくれる襄先生マジ天使ってほんとに天使になってたし!

神の加護あらん

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思い起こせば三ヶ月前、会津戦争に傷む人々の心を癒すために天から使わされたとおぼしき、まっ白でふかふかした伝道うさぎちゃん降臨に、我々視聴者の心は躍った。
いっそ脚本家の嫌がらせとしか思えん前夫アゲヽ(`Д´)ノにも関わらず、登場するやいなや、その笑顔と天然パワーでヒロインだけでなく視聴者の心までもぐっとわし掴みにした我らが襄先生。
さらにはひと癖もふた癖もある幕末維新の生き残りオヤジどもを難なく懐柔し、篭絡し、薙ぎ倒し、気がつけば彼の夢である日本人教育のために善意の奉仕をさせまくった(あの伊藤ですら最終的には寄付した)。
うーむ、志なかばで斃れたとはいえ、白うさぎの実力たるや恐るべし。

というのが、自分の(「八重の桜」での)新島襄評w

時に優しく八重さんの閉ざされた心を開き、時に八の字まゆげで諍う人々を和ませ、地獄のように重苦しいシーンも「八重さーん、八重さーん!」というあの呼び声ひとつで見事に粉砕してしまった、無敵のシリアスクラッシャー襄先生。
病にやつれ、己自身がシリアスな状況になっても笑顔をたやさず他人のことばかり心配して、同志社の将来を案じてひたすら走り続け、利他に徹した47年間。
あと一歩で夢の大学設立がかなうという時に、無念のリタイア。
なんという悲劇! なんというドラマ!(´Д⊂ヽ

ぶっちゃけ新島襄という人物には何の関心も共感もない、否、むしろ聖人君子は嫌いなこの自分をして「襄先生の敵はワシの敵」と思わせしむるとは!
‥‥うん、いや、まあそりゃオダギリが演じてたからなんだけども(笑)

オダギリすげえなあと思うのは、たぶん自分を含めほとんどの人が
「新島襄って誰だっけ?」
「ああ、カルタで見たことある」
程度の認識だった新島襄を、全国的に「教育のために命をかけたむっちゃいい人」(意訳しすぎ)だと知らしめたことだ。たぶんこの先「新島襄」といえばほとんどの人がオダギリの襄先生を思い浮かべることだろう。

以前、自分は大河ドラマは国を動かしてなんぼのドラマだと書いた。
その点においては、主人公が国政にかかわりのない一婦人というのが若干辛い「八重の桜」だが、もうひとつ大河ドラマには役割があって、それは「世間にあまり認知されていない歴史上の人物を知らしめる」事だと思うのだ。
これまで正面から触れられたことのなかった幕末の会津を主役にし、さらに新島襄という人物を(かなり端折ったとはいえ)世に広めた「八重の桜」はなかなかいい仕事をしたんじゃないかと思う。

そりゃあさあ、欲をいえばキリがないわい。
どうにも、新島襄という人の根幹をなす理念と信条がまったく説明されないまま、事象説明に追われて「そういう事だからよろしく」脚本が目立ったとか。
そもそも襄先生が国禁を犯してまで渡米した理由もちゃんと描かれてないとか。
キリスト者としての立ち位置をほとんど描いていないせいで、彼の信念がよくわからんとか。
なんかいつ見ても「金がない」と資金集めをしてるだけの人に見える(笑)とか。
そんで、その辺をすべて説明できるはずだった資金集めの会合での襄先生の演説が、ただのスケジュール説明で終わったとかorz

しかし、そういう不満の数々にも関わらず、視聴者の多くが襄先生を正当に評価し、愛し、ドラマの中のことなのにその死を悲しむほど入れ込めたのは、ファンの身贔屓さっぴいても、やはり役者の演技の力が大きいと思う。

だいたい襄先生のキャラクターは史実のままの方が魅力的だったような気がするんだよ。
国禁を犯しても異国へ渡り、学び、多くの寄付をとりつけて帰国し事業を成功させたという彼の経歴から描かれる人物像は、思い込んだら命がけの情熱と、目標に向かって着々と行動する明晰な頭脳と行動力を持つ、一本筋の通った男性だ。ちなみに結構短気なところもあったとか。
そう、むしろ八重さんの前夫・尚之助に似ている。
というか、前夫の描写は新島襄をベースにして創作したようなので、むしろ実際の襄先生の人となりは尚之助の方に投影されているのではないだろうか。
なんで前夫を新島タイプにしたんだろうか? 旧弊な人物にしておけば、その後あらわれた襄先生の個性が新鮮に見えて、時代の変化を表現できただろうに。 
制作側の狙いはよくわからんが、しかし、癒し属性が強化されまくった「そんな聖人いるかよ!」みたいな人物像でも血肉の通った人間に仕立て上げるのが役者の腕というもの。
今回、襄先生の死に至る過程で、どんどんやせ細り、生気が薄れ、命を削って同志社のために尽力する姿の説得力は誰もが認めるところだと思う。
もはや襄先生なんだかジョーなんだかわからないくらい一体化した存在がそこにいて、たぶんわりとかなーり、オダギリの演技力が世間に評価されたんではなくって?

それは他の役者さんたちにも言えることで、すっ飛ばされた人物描写を表情や言い回しという演技面でカバーできる実力のある役者さんが多いのも、「八重の桜」の見所だったと思う。
八重役の綾瀬はるかさんの泣き演技もとても良かったので、臨終シーンはベタな展開だったにも関わらず素直に感動できた。

神とともにあらん

タイトルにもなっているが、襄先生の最期の言葉「グッバイ、また会わん」
末期のセリフにしてはなんかスカしてるじゃんなどと思ったが(笑)、実はGood-bye は God be with you (神のご加護があらんことを)というセンテンスを短縮したものだそうな。
「神の加護あらんことを。また会わん」
なるほど。確かに襄先生はキリスト者だったのだ。
愛し、ともに歩む者だったのだ。

死に際して「ありがとう」といわれる人生の、なんと豊かなことか、と心から思う。

そんなベターハーフの襄先生が亡くなってから、八重さんが篤志看護婦人会に参加するまでに実際は三ヶ月の時が流れている。
これを、夫の死から立ち直る期間として、長いとみるか短いとみるかはその人によるだろう。
自分は、かつて襄先生が八重さんに語った、
「亡くなった人達はもうどこにも行きません。あなたのそばにいてあなたを支えてくれます。あなたが幸せであるように、強くなるように」
というあの言葉が、今ふたたび八重さんを慰め、励ましていると信じている。
八重さんに、神の加護と、襄先生の加護があらんことを。

‥‥反面、やっと病魔と鬼総監の目を逃れた襄先生が、のびのび羽を伸ばしてくれてるといいなーとも思ったりw

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ところで山本兄は、人に何かを命令するならきちんと理由を説明してからにしたらどうなの。
いきなり「行け」と命令→拒否られて激怒→理由説明って順番間違ってないか(笑)

ジョーと襄

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ルパン三世実写化ですとな。
しかもルパン三世=小栗旬、次元大介=玉山鉄二、石川五ェ門=綾野剛、峰不二子=黒木メイサとな!
なんですかそれなんてチーム八重の桜?(笑)
ひょっとして大河メンバーから優先キャスティングとかいう事ですか?
そういう事ならひとりここにいて当然の人物が抜けてませんかね?
ルパンでも次元でも五エ衛門でもいけるんだけど。何ならのこり二役もできなくはないんだけど(と一部地域では言われておる)

本人そのためにモミアゲ剃らなかったほど熱望してたんですけどーーー!

Boo! Boo! Boo!ヾ(`ε´)ノヾ(`ε´)ノヾ(`ε´)ノヾ(`ε´)ノ

まあ、どんだけ練られたキャスティングであっても視聴者からの不満は出てくるもんだ。
何しろその役者がその役のイメージにはまっているかどうかってのは、個人的な主観でのみ評価されるので、万人が納得する配役というのはほぼ不可能だろう。

その点、「八重の桜」は、かなり大多数の人が納得できる、秀逸なキャスティングが目立った作品だといえよう(←強引なw)
個人的には容保公、慶喜公あたりはもはや他の俳優は想定できないくらいの見事なマッチングだったと思う。
西郷どんや槇村元知事なんかも、嵌るというのはちょっと違うがインパクトを上手く使った成功例だろう。
我らが新島襄先生をオダギリジョーがというのも、「駄ジャレかよ!」という突っ込みは措いて、結果的にはこれまで視聴者の視界エリアになかった新島襄という人物を、強烈に印象づけた上手い配役だった。

実はオダギリは自分なりに新島襄という人物を調べ、役作りをしていたのだが、演出だかプロデューサーだかの意向で路線を変更し、あの白くて天使でふわふわの襄先生になったらしい。
まあ、その辺はストーリー全体のバランス等、さまざまな事情を斟酌した上での人物像なのだろうし、優しくて紳士的でフェミニンな襄先生はとても愛らしかったので不満はないが。
その一方で、新島襄を「情熱的で信念に向かって突き進む反面、思いが強すぎて不器用」と評していたオダギリが、本来想定していた襄先生はどんな人物だったんだろう、という興味も捨てられずにいた。
もしも、オダギリが想定していた襄先生と制作が打ち出した襄先生、微妙に異なるであろう人物像が重なる事があるとしたら、それは襄先生が最期を迎える時期だろうと期待していた。

そして、死と直面した今回、期待どおりの「新島襄」の姿を見られた気がするのだ。

今回は「新島襄とはどういう人物だったか」を集中的に叩き込んできたいわば襄回で、当然最初から最後まで襄先生祭りなわけだが、単純にうかれるにはひとつひとつのエピソードが辛すぎてなあ(´Д⊂ヽ

何しろ襄先生目に見えてやつれてるわけですよ。
ニコニコしてても、大学設立を必死に説いてても、中心部に生気がない。
顔色がなくて生気がなくて、ああもうこれはほんとうに長くないんだというのが目に見える、そこはもう、死と向き合う人間を演じる役者オダギリジョーの役作りの凄さだろう。

ことに今回のクライマックスである寝室での慟哭シーン。
命がけで進めてきた大学設立の悲願が、あと一歩で成就するところまで来ているのに、自分の命が間に合わない。夢の成就を見ることがかなわないという、絶望を、憤りを、本音を吐露した激しい演技は見ごたえのあるものだった。
何度か書いたと思うが、激しい感情爆発はオダギリの本領ともいえる分野だ。
傷つくジョーは何より美しい。だが、今度ばかりは美しすぎてニヤニヤできなかったよさすがのワシも^^;


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そんな襄先生に対する「大学なんかいらねえ! 襄の命が削られるくらいなら、大学なんかできなくていい」
という八重さんの言葉は
「初めて八重さんが妻として夫をどう思っているか感じられた」
「この期におよんでなぜ襄先生の人生を否定するような事を」
と、賛否両論だったようだ。

自分はここで描かれたのは、女性と男性の考え方の違いなんじゃないかと思う。
命をかけた事業よりもあなたの命の方が大切だ、というのは、実に女性的な、言い換えれば「母親」の言葉だ。これは本来、母親である新島とみが云うべき言葉だが、病に臥している母に代わって八重さんが担ったのだろう。
それに対して「お前のやって来たことは間違っていない、その仕事はかならず受け継がれる」と云えるのは男性的な思考であり、その役は前回の父・新島民治と(おそらく)山本覚馬が、そして徳富蘇峰ら教え子たちが担っている。

そのへんを踏まえたうえで、自分が若干残念に思ったのは、八重という人物がただの女ではないという前提があるんだから、ここはひとつ常識はずれに、男性的な反応をして欲しかったと。
八重さんが襄先生の夢よりも命を、と叫んだのは妻として女性として当然だ。
だが、その言葉によって、唯一すがれる存在だった八重さんもまた襄先生が「思いやり、守らねばならない存在」になってしまったことがちょっとばかり残念だったのだ。
余命告知のシーンで、自分の死よりも八重さんを思いやって抱きしめる聖人描写があっただけに、ここでは本音を吐露した襄先生にハンサム・ウーマン八重さんらしく、本音をぐっとこらえて、「同志」として支えて欲しかったなあと。

いや、でもそこで「いかん、八重さんが傷ついている」と我に返ってしまった襄先生の「一粒の麦が死ななかったら世に実りは訪れないのだから!(意訳)」という言葉をきいて、
これまた我に返った八重さんが「これは襄の戦いだった」と同志として受け止めたわけだから、やっぱり彼女はハンサム・ウーマンだったとは思う。
夫婦して本当のところをぶつけあった上で、やはり「一緒に戦おう」と再確認した新島夫婦、という図なのだろう。
そうして覚悟を決めて、もはや戻らぬ我が家を後にして旅立つラスト、門を出る寸前に泣きそうな笑顔で振り返る襄先生。
ああ、これで終わるんだな、と胸がしめつけられる。
もうね、もうワシらにとっては来週が最終回なんじゃー!(オイ)

もはやこの期に及んで、明治編の割合が短すぎとか八重視点だから話が狭いとか新政府が伊藤ひとり舞台だとか井上空気だとか、そんなどーでもいい不満をあげつらう者は去るべし!(つーか長州贔屓は再来年まで黙っとれ)
もう襄先生の行く末を見るだけでいいじゃないか!

あ、とはいえ、ひとつだけ云いたい。
せっかく大隈さんが募金集会をお膳立てしてくれた中、襄先生の命をかけた「お前ら寄付しやがれ」演説のあの超絶ショボさは何事だ!
そこだろ? そこが大事なんだろ!
「国民之友」の寄稿文、あれをそのまま読むだけでいいんだからさ!
そこで手を抜くなよー! 説得力なくなるだろー!

嗚呼已牟哉(やんぬるかな)! 我いまだ新島君の本領を見る能わず!(号泣)

これに限らずですな、襄先生の苦労と活躍があまり描かれていなかったせいで、「まだ死ぬわけにはいかない!」という苦悩が若干薄いのは確かなんでございますよ。
積み重ねの薄さをカバーできる最後のチャンスだったのに!
今までかなり無理してでも脚本をかばってきたが(笑)さすがに文句言いたいぞ。

いやいや、でもね、ひしひしと悲劇が迫りくる緊張感の中で、夫婦でほんわか射的で遊ぶシーンは良かった(泣けるけど)
八重さんの「よし、命中」が笑ってきける時代になったんだな(と、時代の変化にしんみりして)
無邪気に負けん気発揮する襄先生がもう可愛くて可愛くて(いっそ胸がつまるけど)
「ふたりだけでゆっくりと過ごすのはいいものですね」にああもうこの夫婦がふたりきりの時はないのかとウッときたりとかもうね、

もう何やっても涙目になる視聴者を、唯一救ってくれたマッキーありがとう(´;ω;`)

本気で悔しかったらしい
射的で負けて白目になってる襄先生にもかなり救われたけどね

青春て恥ずかしいw

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山本兄「これだから明治生まれは!ヽ(`Д´)ノ」
……というのがおおかたの感想であろうと思うが(笑)

実は、前回の「不義の噂」と今回の「駆け落ち」が二話連続している点が気になった。
これが単に山本家に起きた不祥事だと思えば、「何がうれしゅうてどうでもいい一家族の不道徳を長々と見せられねばならんのだ。それより覚馬や襄の文化的貢献を詳しくやらんかい!」
という不平不満になるわけで、まあ自分もそう思いかけたんだけど(笑)、
ひょっとするとあえて、ここで近代日本というものを象徴的に描いたのではないか? という視点もありかと。

まず、今回とりわけ印象的だった徳冨蘆花の存在だ。

出来の良い兄貴にコンプレックス抱きまくり、未熟な自分を口先の理想論で飾り、目の前の色欲に突っ走りたくてはちきれそうだけどヘタレだからこれまた口先だけ、優柔不断を責められると逆ギレしてしかも逃げ出すという、もうヘタレ街道まっしぐらのダメ男。
典型的な戦後世代だ。
戊辰の生き残りとして臥薪嘗胆して教育界のトップにまで上り詰めた山川健次郎博士はもとより、戦後の困窮した時代に必死で勉学に励んだ兄・蘇峰の世代にも及びもつかぬ未熟者だ。

前回のキング・オブ・クズ男青木といい、今回の蘆花といい、維新前にはいなかったこういうタイプの人間こそが、まさしくこの明治時代の若者の象徴なのである。
いわゆる「近代的自我」の芽生えというヤツだ。

近代的自我とは何なのかというと、つまりデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という個人の自覚のことだ。
……ひらたくいうなら「自分は何者なのか?」というアレだ。
もっと平たくいえば「自分探し()」だ。

明治時代の日本が(というか政府が)目指した西洋近代社会の根本にはこの「近代的自我」があって、それまで封建社会だった日本は、西洋に追いつくために急進的にこの近代的自我を取り入れなければならなかった。
「自分は何者で、他人とはどう違うのか」
現代人にとってはごく当然の、自分を主体として考える、という観念が発生したのがこの時代で、それは新しい思考法だったのだ。

維新前後の若者はみな、どんなに身勝手でめちゃくちゃな言動を取っていようとも(松蔭先生とか松蔭先生とか松蔭先生とか)、それはすべからく「国のため」「藩のため」もしくは「(失われた)武士階級のため」だった。
そういえば、第一回めだったかで容保様の言葉に感激したちび八重ちゃんが「私もいつか殿様のお役に立ちてえ!」と叫んでいただろう。
あれが江戸の人間の言葉だ。ちびっこであっても自分を「社会の一機能」として認識する、いわば大人だったのだ。

だが、明治になって生まれた若者たちの行動原理はまったく違う。
蘆花の「書かんと自分じゃおられん。食べるために小説ば書いとるんじゃなか。小説ば書くために食べると!」
という主張が、まさしくそれだ。
いいセリフだよな。うん、クリエイティブな仕事に関わる人間なら誰もが一度は思ってるよな。
でも、よく考えるとものすごく身勝手な言葉でもある(つーか恥ずかしいわ!)
そう、彼らの行動原理は「自分のため」なのだ。

蘆花や青木、あるいは久栄もそうだが、彼ら新時代の若者の言動は、ガキが「自分が自分が」とわめいて大人に迷惑をかけている図、なわけよ。
そりゃもう、八重さんや健次郎博士みたいに戊辰を生き抜いた大人からすれば、
「自分探ししとる間に他国が攻めてきて親兄弟が殺されたらどないすんじゃ!」みたいなもんですよ。

蘆花がめざす小説家という職業も、それが職業として世間には認められていない時代。
そもそも小説というものからして認められていない。
このブログを読んでくれる人の中にピチピチの若者はあまりいないと思うが(笑)、実際自分が子供の頃までそういう風潮は存在していて、「小説なんて遊びでしょ。もっとためになる本を読みなさい」みたいな事をいわれたもんだ。
そう、だから「小説ば書きたい」という蘆花の主張は、ふた昔前くらいに「オレはロックンローラーになる!」「マンガで時代を変えてみせるぜ!」などと夢みたいな未来像を吹かして挫折を繰り返して気づけば三十路超えてもニートかフリーターとかいう、まさしくアレ。

もちろんそれが良いとか悪いとかいうのはまた別の話で。
むしろ、結果としてそこから「小説」「ロック」「マンガ」「アニメ」といった新しい文化が生まれ育っているのだから悪い事ではないだろう。
ただし、社会としての成熟度でいえば、江戸時代に遠くおよばないことは明らかだ。

社会の中で個人が「自分はなんなのか」とか問いだすと、相応の教養と才能と常識を持った人間で無い限り、行き着くところはDQNにしかならないと思うのだが、四民平等とか自由とかいう盾を手にしたとたん、「我もわれも」と飛びついてくるんである。教養も才能も常識も持たない人間が。
誰もが「自分は特別だ」と主張し、誰もが「他人と比べて自分は」と不満を持つ。それが新時代。
逆に、個人の好き勝手は考慮されず、身分の固定された封建社会では、個性などというものは害悪扱いされる。しかし固定された枠の内で人々は十全に機能を果たし、社会は安定していたのだ。

「明治生まれか」という覚馬のセリフは、べつに「このゆとり世代があ!」という憤懣ではなく(笑)
どれだけ開明派としてはじけていようとも、結局は藩士として身分の確定していた自分の時代とは違い、自由である事とひきかえに、将来的な保証が何も無い、己の才覚ひとつで野垂れ死にと背中合わせの若者の不安を慮って言ったものだと思われる。

そう思ってみると、前回の「不倫疑惑」も同じようなアプローチで描かれていたように見えてくる。
自分は前回の感想で、時栄さんの積もり積もった(であろう)不満とは、山本家の人々へのコンプレックスではなかったか、と推理していたのだが、それは言い換えれば、近代的(女性の)自我の芽生えを描いたものではなかったかと。
つい最近まで、女性が男性と同じように学び、社会的地位を持って活動するなどありえない話だったわけで、そんな中、特殊例とはいえ男性と同様に戦い、学んでいきいき働く八重さんや高学歴な娘たちを見て「なぜ自分は」と思わずにいられなかったのではないだろうか。

明治中期という、時代と時代のはざまで、日本という国がきしむようしてに育っていく成長過程(@厨二病期)がここで読み取れる。
前回は「明治の女性」、今回は「明治の若者」と、いずれも新時代における自我というものの転換点を描くために、山本家で起きた事件の流れに沿って、同じテーマの二作が並べられたのではないだろうか。
というか、そうでも思わないと、ただでも尺が足りない中でことさらこの二話を取り上げた理由がよくわからん。

そして、もしそうだとしたら、髷を落とさず、最期まで江戸の名残をまとっていた新島父の死は、ある意味これも象徴だ。
「子は思うようにはならん」といい、それでいて結果的に新しい世界を持ち帰った息子を認め、励ます父親。
出番は少なかったが、新島民治の最期は、「江戸」という日本の前時代が、さまざまな齟齬や確執をかかえつつも未来に向かって進んでいく「明治」に国の舵取りを明け渡した姿、成熟した大人文化から、未熟ではあるが新進性に富んだ若い文化への移譲を表しているのかもしれない。


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……とかなんとかそんな切り口でとりあえず脚本擁護してみたりしたんだけどー、次回予告の
「主はなぜ時を与えてくださらないのか!」と慟哭する襄先生を見た瞬間、
「ロクデナシ明治生まれの厨二病取り上げるくらいだったら先週今週すっ飛ばして大学設立話を三回にわけても良かったのにいいい!」
とか掌返しな黒い憤怒が湧き出でて、しかも次の瞬間にはそれすらどこかに吹き飛んでいった槇村のハゲ恐るべし!



ちなみ豪腕元知事のヘアスタイルはほぼ史実らしいですよ。

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