Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

これが神回というやつかw

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三枝がおばあちゃんに読んで欲しいと持ってきた脚本は、ふたりの少年がカッパを探しに行く話。
タイトルは「さくらやの奇跡」
舞台はさくらやで、三枝と太郎の少年時代の実話がベースだ。

「太郎、お前の夢はなんだ」
「決まってんだろ、プロ野球選手かミュージシャンだ」
「俺もだ。そうだ太郎、この前、川でカッパをみた」
「ホントか? 三枝」
「ああ。見に行くか?」

かつてのおバカな少年たちの姿は、まんま今の(かなりおバカな)太郎と三枝で。
三枝は子供の頃の自分が地続きで夢につながっているんだなあ。そこには太郎が必須不可欠で、三十路越えてまだ「男の夢はプロ野球選手かミュージシャンだ」と言い張る太郎の成長のなさに、三枝だけは本気でしがみついているらしい。

「忘れかけていた夢を、取り戻しに行って来る!」
と宣言し、三枝は映画プロデューサーに会いにいく。

だがそのプロデューサーが梶原善さんだという時点で嫌な予感しかしないわけで。

「子供ふたりしか出ない映画なんて金にならない」
「カッパに会いに行くなんて使い古されてるし」
「てかカッパてwww」
案の定バカにされコケにされてうちのめされた傷心の三枝が向かうのはやっぱり太郎のところだ。

(´・ω・`)「‥‥ちっちゃい頃、俺達カッパ見たよな」
(`・ω・´) 「うん見たよ。今から見にいくか」

太郎は相手の大切なものを否定しない。そしていつも傍にいてくれる。それが太郎の優しさだ。
おばあちゃんもシマさんも剛も礼子もムサシも、皆がそんな太郎に救われる。

しかし、相手が三枝となると(バカの)相乗効果で斜め上方向に突っ走ってしまうのが問題で。

カッパ探し道中に通りすがりの天使@ヒゲ親父形態を見咎めたとたん、ちょー笑顔で追いかけるバカふたりwww
捕獲しようとして失敗したあげくに怒った天使に首筋を噛まれて悶えて、
おい! ひょっとしてこれ新種の未確認生命体なんじゃないのか! 毒キノコじゃなくてハブかカナリアのグロンギなんじゃないのか! くらいの太郎の悶絶に一瞬15年前のトラウマが蘇りかけたところが話はそれどろじゃなかった。

一夜明けたら、

太郎の口からほとばしる美しいコロラチュラソプラノwwww

なんでwwww

駆けつけた三枝と手を取り合って、どうやらふたり揃って声を張り上げると変声することを確認しあった太郎は、
やにわにトルコ行進曲を歌いだす。

なぜww
なぜにトルコ行進曲www
由紀さおりと安田祥子ばりに熱唱しながら踊るふたりの姿に、深夜だというのに視聴者は笑いすぎて呼吸困難だ。
もはや三枝の脚本が小さい頃の夢を描いたとか、厳しい商業論理の前に挫折したとか、そんな切ない前フリは雲の彼方だ。

「まさか三十路すぎてこんなチャンスが巡ってくるとはなぁ」
「ああ、こんなにも心が燃え上がる感覚は、久しぶりに取り戻したぜ!」

清々しい笑顔で、肩組んで朝焼けの川面を見つめるバカふたり。
いや、待て、医者に行け、医者に! 関東医大にいい医者がいるから!
行っていっぺん解剖されて来い!

爆笑につぐ爆笑に、なんだこれは、ワシは「おかしの家」を見ていたんじゃなかったのか! と腹がよじれているところに次回予告が

「太郎と三枝まさかスターに!?」

続くのかよ!
しかも剛とシマさんの深刻な話と同時進行かよ!

すでにドラマとしての折り返し地点は過ぎているはずなのに、着地点が見えないwww

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子供の頃に見ていた夢を、大人になっても見ている太郎と三枝。
まあ、冷静に考えてこのドラマで本気のSF展開はありえないだろうから(笑)、今回のファンタジーはたぶん少年時代のまんまの何かを保ったふたりだけが体験した、他の人には聞こえない、でも太郎と三枝にだけは確実に聞こえているアレなんじゃないかと思うが。

‥‥。

うーむ、だめだ、歌い踊る太郎と三枝のシーン、何回みても鼻水吹く。
この先人生で辛いことがあったら、きっとこのシーンを思い出せば、どんなことでも乗り越えられる気がする。
(悲しい時は思い出さないほうがいいと思う)

そこには愛がつまってる

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「愛ってなんだ?」という5話。

いい年してぎこちない太郎と礼子が実に歯がゆいw
弁当デートを内緒にしているのはたぶんおばあちゃんを寂しがらせないための太郎の優しさなのだろうが、勘付いていてもあえて追究しないのが、おばあちゃんの優しさだ(たぶん)。
しかし見てるこっちはそんな不器用な弁当カップルに、ええいフーゾク行ってた男と子持ちの女が何をやっとるのかー! 

と思ったら、そんなギクシャクカップルに喝を入れるべく元フーゾク嬢らしきマロンちゃん投入!
「礼子には何も言わないで」
と言うヘタレ太郎のしどろもどろに速攻で気付く礼子。

「俺はお前の元旦那のこといちいち詮索しない」
「訊かれたら話すけど」
「いやいいよ。聞きたくないし」
「あたしは訊きたいけど」

男と女では過去に付き合った異性の扱いが違うというのはよく言われるが(笑)、たかがフーゾクを気に病むほど弱腰な太郎と、元旦那なんかすっかりどうでも良い過去の存在で太郎ゲットに気合入れてる礼子との意識の違いが如実で面白い。
太郎にとってはマロンちゃんとの過去はまだ地続きらしい。
おいおい未練がましいのは男のサガってやつかー、と思ってたらマロンちゃんさくらやに来るし、おばあちゃんは「麻理恵ちゃん」となつかしげに話しかけるし。

なんだよ麻理恵ちゃん、子供時代からの地続きだったのか!

おばあちゃんに覚えられていて嬉しそうだったのに、肝心の太郎には認識すらされてなかった麻理恵ちゃん。
「変わりましたよ、私」
とつぶやく彼女に、やっぱり何も訊かないおばあちゃん。

あえて相手の事情を追究しないのも優しさだ。
麻里恵ちゃんがいなくなるならもう追究しない宣言をする礼子にとって、太郎は「自分の気持ちのためだけに秘密を暴こうとしてはいけない」という、それだけ大切な対象になっているのだろう。

結局、麻理恵ちゃんがマロンちゃんなのかどうかはわからず仕舞いだったが、
「女の秘密は覗いちゃいけない」
と哲学的なんだかいいかげんなんだかわからない迷言で済ます男たちも、やっぱりそこんとこはわかっているのだ。

で、男には男の秘密がある。
誰も何も言わないけど、シマさんが銭湯を締めてから毎晩一緒に飲んでるらしいし(ちょっと泣いた)。
夜の駄菓子屋を春馬と探検する弘樹は、野郎だけの秘密をコッソリ伝授する師匠みたいな顔してるし。

その一方で、おばあちゃんから糠漬けのコツを伝授されている礼子がいて。
何だかんだいって糠を分けてもらうというのは、女にとって実に、実に意味シンな行為だ。太郎の方もそのへん感じ取ってるから、弁当に入ってる糠漬けにまんざらでもない顔しているし。
このふたりは、というかおばあちゃんと太郎と礼子と春馬は、少しずつ着実に「家族」になっていっているらしい。

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糠漬けは愛。
しっかり隠してほどよく発酵させて、美味しい時を見計らうタイミングは「経験と勘」ってやつ。

シマさんの背中が泣いている(´;ω;`)

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おかしの家第4話のタイトルは「痛み」。

毎回、のんびりとふざけたテイストでいながら、ささやかな、でも胸の奥をちくちくと刺すようなシビアな描写があった。ゆるやかに、軽やかに流れる庭先の小川も、よく見れば水面の下はざらざらとした小石や深いよどみを抱えているように。

冒頭、繰り返し語られる「この駄菓子屋は、いずれ確実につぶれる」というナレーションは、もちろんこのドラマ全体のありようを示している。
素敵な時間はいつか終わる、大切なものは、いつかなくなる。
そして今回は、これまで川底に隠れていた「シビア」がむき出しになる。

太郎と弘樹の脳みそはいま中学二年生程度にはなっていていて、ウクライナ、シリア、人身売買、移民問題、自殺、原発、死刑制度、いじめ、孤独死‥‥大仰な地球の問題、世界の問題をかかげて悩んでいる。
ある意味リアル厨二病(笑)
でも、そんな太郎たちの足元には、身近な大人の問題が転がっているわけで。

いずれ潰れるさくらや。
もう潰れかけてる島崎さんの銭湯。
いつもいつもバカにされてドロップアウトした剛。
そして、過労で倒れる礼子がいて。

どれひとつとして解決できる当てなどない。
自分達にできることなんか何もない。
日常にひそむ死や老いや貧困、生活への不安は、視聴者の胸をいちいちえぐる。

でも、剛はおばあちゃんの言葉に救われる。
「ひとりきりで寂しかったでしょう」
でも、シマさんは言う。
「そっとしといてくれ‥‥でも近くにいてくれ」

そして、倒れた礼子の病院に、当たり前のように駆けつけた太郎は、車の中でながながと地球の問題、世界の問題をあげつらう。
「‥‥災害、安保、領土問題、基地問題、ギリシャ、麻薬、大気汚染、食品擬装、
‥‥で、お前。俺。おばあちゃん。‥‥さくらや」

いつの間にか、太郎の抱えた直近の問題に、礼子が混じってる!

「正直、どうしていいかわかんない」
「は?」
「とりあえずお前んちに向かいまーす」

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ハンドルを切る太郎。かぶせるような飛行機の離陸音。

ぬくぬくと、コドモのままでいられる裏庭に集っていてもシビアな問題は差し迫っていて、一生懸命生きていても生きづらい現実が目の前にあって。
せつなくて胸苦しくて痛い、閉塞した現実だらけの中、太郎の最後のセリフで空気が変わる。
痛い現実の中で「誰かが近くにいてくれる」ことが何よりも救いになっているのだと。

とりあえずお前んちに向かった太郎のハンドルは、この話がひとつの方向に向かって舵を切ったことを暗示しているのだろうか。

大きい問題も小さい問題も、どれもどうにかできなくて痛い。
痛いけど、そばにいてくれるのが太郎とおばあちゃんなんだ。

大丈夫!って五代が、いや太郎が。

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「おかしの家」第3話。
「大切なものを見失っていた人間たちが己自身の過去に、夢に、痛みに向き合う」といううたい文句どおり、ゆるく、まったりとした空気の中で太郎たちが毎回「大切なもの」に気付いていく。
今回、太郎たちが見つけた「大切なもの」は人を傷つけてしまった事への後悔だった。

そんな、物語導入の前提としてあるのが、主人公太郎と周囲の人間の「頭の中小学生のまんまっぷり」なわけだ。今回の太郎と愉快な仲間たちの小学生男子レベルといったら前回からさらに2学年くらい下がって、

・太郎と礼子の微妙な雰囲気を察知して「つきあってるーつきあってるー」と囃し立てるバカ男ども。
・ガンガン攻めてくる礼子に及び腰でど下手な嘘ついて逃げ出す太郎

しょーーーーがねーなーーーもう(笑)


いい年して小学生男子女子レベルで意識しあってる太郎と礼子の仲がどうなるのか、おばあちゃんのために続けているさくらやがどうなるのか、というのが物語の大きな縦軸だろうか。
そして今回の横軸となるのは「ボンド食べてた清美ちゃん」

太郎たちから見た清美ちゃんはボンド食ってもらしてた変な女の子。
礼子から見た清美ちゃんはいつもニコニコ笑ってた優しい子。
でも実際の若林清美は小学校の頃からかわれて、中学でイジメられ、高校でさらにイジメられ、病んで自殺未遂までした不幸な女の子だった。

ううむ、男子視点の内容からしてそうだろうと思ったが、やはり太郎と弘樹は清美ちゃんをからかっていた張本人だった。本人たちはすっかり忘れていたが。
過去の自分たちの所業を知って愕然とする太郎たち。そしてそれに気づいていなかったと落ち込む礼子。
それぞれが、あの頃の自分が犯したささいな、でも重大な結果を招いてしまった罪と向き合うことになる。

「若林清美は投資で成功して今頃スペインで悠々自適で暮らしてるんじゃないかな」
「めちゃめちゃやさしくて背の高い旦那と結婚して子供も5人くらいいる」
まるで贖罪のように、現在の清美の幸せを想像する太郎と三枝。
でも、清美は白血病で亡くなっていた。
やさしい旦那と子ども(5人ではなかったが)に恵まれて、幸せだったといいながら。

訃報を伝えられた太郎と弘樹が、水路の向こう側を向いたままずっとうなだれている、その描写がとても良い。

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「最近物忘れがひどくて」
うっかりおにぎりを作ってしまってしょげるおばあちゃんを
「俺にもあるから大丈夫だよ」
とふんわり笑って慰め、おにぎりを頬張る太郎は優しい。

その優しさは、子どもの頃の太郎にはなかったものだ。
大丈夫、太郎は子どもの頃の太郎ではない。
ちゃんと、相手が傷ついているかなと思いやり、慰める大人になっている。

誰かを傷つけたことなんか気付きもしない子どもの頃。でも大人になってからそれが重く跳ね返ってくる事は多い。
おそらく清美の子どもたちも、お母さんの前で「死ね!」「死ね!」と連呼していた事を、いずれ激しく後悔するのだろう。
悪意なんかなくても、人は他人を傷つけられるイキモノなのだ。
それがどういう事だったのかを知って、今度は自分が傷ついて。
でも、過ちは誰でもしてしまうし、誰もが後悔しながら生きている。後悔するという事は、未熟だった時の自分とはすでに違っているという、成長の証でもあるのだ。

「後悔?」
「まあね」
おにぎりを頬張りながら清美の事を思って後悔する太郎を
「あたしにもあるから大丈夫よ」
と慰めるおばあちゃん。
たくさん後悔してきたおばあちゃんの言葉は、太郎のそれに輪をかけてやさしい。

今日の話を見てちょっとモヤモヤするのは、誰もが似たような後悔や、後味の悪い思いを抱いたことがあるからだ。そしてそんな視聴者にも「俺もあるから大丈夫」って、きっと太郎は言うんだ。

おっさんハグでまさかの号泣ラスト

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カワイイんだよ! とにかくこのドラマに登場する人物は、どいつもこいつも見てるこっちの胸がきゅうううん! とするくらい可愛いんだよ!

「お前はすごいITなヤツだよ」と意味不明の友情確認する弘樹も、小学生みたいに「なんで? なんで?」を連発する太郎も、おにぎり褒められて嬉しくて調子に乗っちゃう礼子も、銀座にお出かけときいておめかしするばあちゃんまで含めて、もう全員まとめて抱きしめたくなるたまらーん!

だが今回は、バリッとしたスーツ着たIT社長の「武田武蔵」にすべて持っていかれた!
再会した幼馴染に飛びついて抱きしめちゃうとか、犬かお前は!
そして年収一億男に抱きしめられて「いい匂いがする‥‥」と恍惚としている太郎、お前も犬か!
あああ総司が斎藤を抱きしめてるううう(パニック)

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三十路男の抱擁シーンへの「新撰組!」的感動はともかく(笑)
このドラマに登場する大人たちは皆、子どもの頃のままの大人だ(礼子も含めて)。とはいえ本当に子どもなわけではない。全員が生活の苦労だの将来の不安だのを抱えてはいる。

「30過ぎて自分の人生振り返るだろ? びっくりするほど何もないぜ」
ポツリと言う太郎の表情は、人生にいい加減なのではなく、誠実すぎるがゆえに何かを諦めているように見える。
わかっていて子どものままでいるというか。

そんな太郎とダベるためにさくらやに集まる常連三人組も同類だ。
いい年した大人が駄菓子食べてくっだらない会話をして、小学生レベル(それも昔ののどかな小学生だ)のダラダラした毎日を過ごして‥‥、ああこれあれだ、ネットのコピペで見かける


          \   r'´ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄`、::.   ___
   l} 、::       \ヘ,___,_ ______/::.__|    .|___________
   |l  \::      | |             |、:..  |[], _ .|:[ニ]:::::
   |l'-,、イ\:   | |    ∧,,,∧ .   |::..   ヘ ̄ ̄,/:::(__)::
   |l  ´ヽ,ノ:   | |   (´・ω・`)    ,l、:::     ̄ ̄::::::::::::::::
   |l    | :|    | |,r'",´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ、l:::::
   |l.,\\| :|    | ,'        :::::...  ..::ll::::    そうだ
   |l    | :|    | |         :::::::... . .:::|l::::   これは夢なんだ
   |l__,,| :|    | |         ::::....  ..:::|l::::    ぼくは今、夢を見ているんだ
   |l ̄`~~| :|    | |             |l::::   目が覚めたとき、
   |l    | :|    | |             |l::::   ぼくはまだ12歳
   |l    | :|    | |   ''"´         |l::::   起きたらラジオ体操に行って、
   |l \\[]:|    | |              |l::::   朝ご飯を食べて、涼しい午前中にスイカを食べながら宿題して、
   |l   ィ'´~ヽ  | |           ``'   |l::::   午後から友達とプールにいっておもいっきり遊ぶんだ・・・
   |l-''´ヽ,/::   | |   ''"´         |l::::   
   |l  /::      | \,'´____..:::::::::::::::_`l__,イ::::



もう子ども時代に戻れない視聴者たちにとって、太郎とその仲間達の日常風景はまさにこのAA的な、なつかしくてまぶしくて切ない対象だ。
「そんなんじゃいかんだろ!」
と突っ込みつつ、心の中で(いいなあ‥‥)と羨ましく思う。
そして今回ゲスト出演した沖田総司、もといカイジ、もとい志々雄、じゃなくて藤原竜也が演じるムサシは、まさに視聴者の目線で太郎たちのそんな生活を羨ましがり、懐かしがり、そして「お前らはそのままでいいんだ」と伝える。

「じっとここに座って考えていればいい」
「何を考えるんだ?」
「‥‥ほんとうに大切なものは何か」

大切なものが何なのか、太郎たちはピンとこなくて不得要領な顔をしていた。
でも、ムサシにさくらやの事を「なんのために守ってるんだ」ときかれた太郎は即答する。
「決まってんだろおばあちゃんのためだよ」

  (一瞬、「うわこれ何の罠だ地上げか!」とか疑った自分を許してください)
  (だって藤原竜也がクズでないなんて夢にも思っ)

太郎が執着するのはおばあちゃんとさくらやだけなのだ。
言い換えれば彼にとって、世界はおばあちゃんとさくらやなのだ。
まるでピュアな子どもが「お母さん死んじゃったらどうすればいいの」と脅えるように、いまの生活を変えたくなくて必死に留まっている。反面、太郎は大人でもあるので「いずれはばあちゃんも死ぬ」ことくらいは百も承知だし、この店が「いつか確実に潰れる」こともわかっている。わかっているけどあえてそのままにしているだけだ。
思考停止してるわけではないが、現状維持の努力しかせず、年収1億の友達を羨むわけでもない。

そんな太郎の執着のなさが、1億円男ムサシにとって切ないほどにまぶしい「大切なもの」なのだろう。

で、そのムサシに銀座の高級レストランに招待された太郎ご一行。
ご招待なのに食べているのがカレーライスなのは、慣れないナイフやフォークでばあちゃん達が恥ずかしい思いをしないようにってチョイスなのかな。それともおごってくれるムサシへの、友達としての分を弁えた気遣いなのかな。
だけど「こないだパリで食べたステーキには劣るな」などとムカつくうんちく垂れてる金持ち夫婦よりも、カレーをめっちゃ美味そうにうれしそうに食べる太郎たちの方が、どれだけ幸福そうなことか。

‥‥なるほど「ほんとうに大切なことを見失う」とはこういうことか。

そしてオーナーとして店頭で挨拶するムサシに、ハグされようとしてハッと我に返る太郎(笑)
そういえばあの、太郎が目をつぶって直立するポーズは、かつて小学生だった頃、ふたりの間にあった秘密の儀礼か何かなんだろうか。人気者だった太郎の「お前にだけ(俺様を)ハグする事を許してやる!」という特別な許可だったとか?
それとも今回始めてハグされて、香水つけたムサシにクラクラしちゃった太郎の「もういっぺんハグして~」というおねだり&それに応えるムサシの愛か何かなのか?
どっちにしてもこのふたりの間だけに通じる「大切なもの」なんだろう。
その証拠に、自分もハグされたくて群がる他の男たちはきっぱりムサシに無視されてたし(笑)

そんな風に、ことさら説明せずとも、太郎とムサシの過去の友情とか、いまの二人の強がりとか本心とか、礼子との関係がさりげなく進展してることなど、視聴者にいろいろと想像させてくれる。
うーん実に見事な脚本・構成そして演出と演技に、ハグされた太郎並みにうっとりするぜ。

それにしても、藤原竜也はこういうエキセントリックじゃない役を演じると、本当に上手い役者だという事がよくわかるなあ。
爽やかな青年実業家、の皮を剥いたら出てきたのは腹黒い陰謀家でも殺人鬼でもなくて
「ほんとうに大切なものを捨てて必死で生きてきたら、何もかも無くして辛いのに泣けない小学校の友達」
だったんだよ。
もう、もう、「うわあああああムサシーーーーー!。゜゜(´□`。)°゜。」って号泣しちゃったよう。

でも太郎は同情なんかしないんだ。

「‥‥今度ムサシに会ったらさぁ。
‥‥香水いっぱいつけて、強く、きつくハグしてやる」

そして流れるRCサクセションの「大人だろ」にまた泣いた。
悲しいとき、涙なんか誰にも見せられない
だからムサシは笑って、ハグするんだ。

五代雄介の帰還 その2

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さて、15年ぶりに特撮ファンの前に登場したオダギリジョー。
さらっと冒頭部分を紹介すると、

高寺P「(オダギリが特撮を扱うラジオ番組でクウガを語る件について)一般的にまさか、という感じはあったみたいなんです」
オダギリ「いやそう~でもないと思いますよ~。いやだって僕、今までリーダーの仕事お断りした事ないですよ?
高寺P「それを案外みんな知らないって事なのかも知れないですよ」
オダギリ「あ~‥‥え、でも僕カノン(大魔神カノン)出てたり‥‥とか‥‥映ってました? 僕、ちゃんと」(←不安になったらしいw)
高寺P「(笑)映ってました」

うーむ、いきなりその話題振るのか(笑)

高寺P「オダジョーにとって黒歴史じゃなかったのか、という言われ方をして、一方でそうじゃないと知ってる人たちは『黒歴史じゃないって言ってんのに!』みたいな」
オダギリ「(笑)」
高寺P「そういう悔くやしがり方だったんです」
オダギリ「へえ~‥‥どちらにしてもじゃあホントに今回出させていただいて良かったって事ですよね」

この段階ですでにリスナーの大半は涙目になってんですけど。
高寺さんは、おそらく本気でくやしがってるファンの気持ちをわかってくれているし、役者オダギリジョーがいわれのない誹謗を受けることに憤ってくれていたのだと思う。つまりはっきり言って
高寺さんは公式側というよりこっち側の人だと思う(笑)

そんなこんなでオダギリジョーの真実を暴く「特撮交遊録」スタート。
オダギリ本人が、肉声でファンの耳に届く形で、あの噂について、そしてクウガに出演するに至ったわけ、収録中のさまざまな思い出などをたっぷり30分語ってくれた。
淡々と、至って普通にいつものように、ゆる~く。

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きっと笑顔に違いない五代雄介2015(クリックするとでかくなる)

さて、「相手の心情を察し、決して否定する事なく意を汲み取って広げていく」高寺氏のインタビュー能力にはつねづね感歎していたが、話題がこと「クウガ」で相手「オダギリ」となると、もう熱したナイフでバターを切るが如く、バッサバッサとタイタンソードの切れ味w

(うわ本人に向かって「黒歴史」説明してるんだ‥‥)
(ゴーゴーファイブの話、しちゃっていいんだ‥‥)

みたいなもう、最初から最後までぶっちゃけ話の連続で聴いてる側がハラハラする。(笑)
とはいえ大半はこれまでもさまざまなメディアでオダギリ本人が語っていて、古くからのオダギリファンであれば百も承知な内容なわけ。
でも、最近「クウガ」を知った人や、最近オダギリのファンになった人にとっては貴重な、場合によっては衝撃的な話だっただろう。
そのあたりを、誰にとっても面白く、理解しやすい形で聞きだす高寺氏のインタビューは、「謎の真実を暴く」というより「わかりきってる真実をわかるように解きほぐす」というアプローチだったように思う。

そして、本題である噂についてのおおよその結論から言ってしまうと、

「オダギリは基本特撮のスタンスは好きではない。でもクウガ演るのは運命だったと思ってる」

特撮は好きではないという、おそらくそこのところが「=クウガを無かったことにしたがっている」という誤解に繋がっているようだ。
まあこれもまた一部の特撮ファンからは「特撮をばかにしている」と取られかねない結論なわけだが、オダギリは決して特撮そのものをバカにしているわけでも蔑ろにしているわけでもないと思う。
単に合わないだけだ。彼の求める芝居と。

特撮に対する彼のスタンスとして特に有名なのが、番組中でも話題になった(クウガの前年に行かされた戦隊ヒーローもの)「ゴーゴーファイブ」のオーディション事件で、
変身ポーズをしろという要望を断ったうえに、本人いわく
「俳優の勉強をしているのはリアルな芝居をやりたいためであって、変身とか、ヒーローとか、そういうものになるつもりはありません」みたいなことを主張したあげくにつまみ出された。という件(笑)

「そりゃそうですよね」と現在の彼は苦笑する。
戦隊もののオーディションに来ておきながら何を言っているのかと。そこのところは当時の自分を「生意気だった」と認めながらも、
「いまだに同じことを同じテンションで言うでしょうね」
と断言する。

まあ、間違いなく現在のオダギリに戦隊もののオファーが来ても言うだろう。
なにしろ映画「FOUJITA」の記者会見で
「藤田はあまり知らなかったし、いまだにそんなに興味ない」
とやらかして小栗監督と中谷美紀さんに同時に突っ込まれる男だ(笑)

し、正直者なんだよ!
自分を飾るためにおもねったりへつらったり自分を偽ることができない人なんだよ!ヽ(`Д´)ノ

正義のヒーローがありえない掛け声や変なポーズ取って変身して‥‥という特撮独自の「お約束」「うそ臭さ」が嫌いで、それはオダギリジョーという役者本人のスタンスとしてこの15年間まったく変わっていない。
ではなぜ、かくも頑ななオダギリが五代雄介を演じることになったのか。
それは全力で断られようと立ち向かった「クウガ」オーディションで高寺氏と出会ってしまったからだ。
まさしく特撮の「お約束」をぶち壊し、まったく新しい「ライダー」を作り上げようとしていた高寺氏にとって、こういうオダギリジョーこそが「もうこの男しかいない!」という人材だったらしい。
本人にしてみれば「一生懸命オーディション落ちようと」努力していたのに(笑)

そんな高寺氏との出会いを、オダギリは「めぐり合わせとしか考えられない」と言う。
そりゃあ何しろ彼の率いるクウガ制作スタッフは、その時まさしく撮影技法、人物感情、さまざまな状況設定において、それこそ「嘘のない表現」を撮ろうと試行錯誤していたところだ。
リアルな芝居を追究していた彼が五代雄介役を引き受けたのは、高寺氏のその信念、哲学の部分に共感したからだろうし、全く新しい特撮を作るべく闘うスタッフ、キャストと共に、それはもう血を吐くような努力をする事になったのは、なるべくしてなったまさに運命だったのだろう。

何だかんだいいつつ、彼がどれだけ「ニューヒーロー」に努力していたかは、30分の話の中で繰り広げられる回想話でよく分かる。かいつまんで紹介すると、

まず「変身」の掛け声。
昭和ライダーおきまりの「変~‥‥身!」という、タメの入った掛け声と見栄のようなポーズ。2話の教会シーンであれを求められたオダギリは「2000年ライダーを演じるにあたってこれだけは譲れない!」と頑張ったらしい。
あれを「変身ッ!」に変えたことによって、後世の平成ライダー俳優たちを救ってあげたのだ、と胸を張るオダギリ可愛いな(笑)

そしてアフレコ。
アクション部分のアフレコをリアルにしたい、変身前の演技との違和感をなくしたいという思うあまり、息が切れて立ちくらみするくらい気合入れて臨んだらしい。そういえば当時から戦闘シーンでの息遣いなど、生々しいオダギリのアフレコは凄いと評判になっていた。なんでも収録現場にはオダギリが酸欠で倒れこんだ時のため専用の椅子が置かれていたという。
そしてラスト、ダグバ戦に至っては本当に泣きながら収録していたというから、役に対する尋常でない入れ込みぶりは当時も今も変わらないようだ。


‥‥さて、この放送をきいて改めて自分は疑問に思うのだが、はたして「オダギリはクウガを黒歴史にしている」という捏造をしつこく振りまく人や、あるいは彼が特撮を好きでない事に憤る人たちは何と闘っているのだろうか?
これは(クウガファンではなく)オダギリファンとして言わせてもらうが、役者であるオダギリジョーにとって、五代雄介はこなした多くの役のひとりであり、「仮面ライダークウガ」はかかわった作品のひとつだ。彼には彼の目指す芝居があって、そのためにこの15年間とてつもない努力をして、成長して、現在の評価を受けている。
その彼に何を押し付けられるというのだろう?
オダギリジョーは別に特撮ファンのために仕事をしているわけではないし、本人も特撮ファンではない。
でもこうして15年経った今も、オダギリは高寺さんはじめ当時のスタッフ、キャストと今でも頻繁に交流するくらい(グロンギ呑みにも参加してたぞ)、「仮面ライダークウガ」と「五代雄介」を大切にしているのだ。

彼にとって「仮面ライダークウガ」とは、特撮作品というより、練り上げられた構成と脚本、撮影技術も音響もキャストの演技も、すべてがうまく配分された、良質な、大切な出演作のひとつ、なのではないだろうか。
そして彼と「クウガ」の出会いは、特撮ファンにとっても「運命」だったのではないだろうか。?
事実、クウガ以降の平成仮面ライダーは、多かれ少なかれ昭和のライダーとは決別した、新しいヒーロー像を描くようになっていったのだから。


そんなこんなのオダギリゲスト回前編。他にも現場のオダジョーセラピーとか、幕の内弁当発言とかガリマ姉さん登場とかとか‥‥もう、とてもすべては載せきらないので、詳しい内容はアーカイブで、実際のふたりの会話をその耳で聴いて確認して欲しい。

というか、正直そのまんま文字起こしをしたところで、実際に語る内容のニュアンスは伝えきれない。
「オダギリが噂を否定したってホントなの?」
と思うアナタには、そういう噂が蔓延してしまった原因でもある「表面上の記事を鵜呑みにする」という愚を犯して欲しくないのだ。
というわけで、ぜひともその耳で確かめて欲しい。

「高寺成紀の怪獣ラジオ」アーカイブ
(毎週土曜に更新されるのでお早めに)

あと女川さいがいFMでも放送から8日遅れくらいで再放送されるのでそっちでもチェックできる。




収録後のオダギリ本人の言葉が公式ブログにアップされているのでその辺もぜひ。

公式ブログのオダギリ回(前編)エントリ


何にせよ放送当日、日ごろはガンガン宣伝ツイ流しまくる怪ラジアカウントがしーんとしてて「どうしたんだろう‥‥?」と不安になっていたら
「実況ツイート用の原稿がまだ終わらなくて(´;ω;`)」
トイレからツイするくらい、放送時間と必死で戦っていたらしい高寺氏の尽力に心から感謝したい。


五代雄介の帰還 その1

Posted by Lazyrose on   2 comments   0 trackback

2015年10月31日午前0時。
巷の「ハッピーハロウィーン」気分をぶっ飛ばす勢いで、局所的暴風が(主にオダギリファンと特撮ファン方面で)吹き荒れた。

「怪獣ラジオにオダギリジョー出演、仮面ライダークウガを語る」

という、まあごく限定された大事件だよねこれ、オダギリクラスタ&特撮方面にとっては驚天動地のビッグニュースだけどさ、とか思っていたらなんとYahoo!ニュースにまでなっていたからびっくりポンだす。

さて、9月に高寺氏の「あの方とあの方」発言があってからこっち、待ちに待ったオダギリ登場。
その時「#怪ラジ」ハッシュタグは大変な事になっていた。

まずオープニング曲でクウガ主題歌(しかもテレビと同じアルバムバージョン!)がかかった段階でタイムライン洪水状態。間違いなく全国各地で合唱しつつ泣いてる人多数。
クウガすげえ‥‥15年経ってなおこんだけの人間を興奮させるんだ。

そしてオダギリジョーが語りだすと、そのソフトな声に
「五代の声だー!」

151101-blog1.jpg
「15年後の五代の顔はまだ見えない」(クリックすると超でかくなるw)

うんうん、声変わらないよね、昔よりさらにまろやかに熟してるけど、高寺さんを「リーダー」と呼ぶ彼の声は、昔と同じ穏やかで、発言の意図を踏まえつつ話す用心深い丁寧さで。

そしてその高寺成紀氏。
実は仮面ライダークウガに関しては、自分の関心はオダギリ以上にこの人物にある。
特撮を愛してやまず、ぶっちゃけ特ヲタのひとりでもあり、「仮面ライダークウガ」を生み出した親と言って差し支えないテレビドラマプロデューサーだ。
スーパー戦隊シリーズで敵の女性幹部にAV女優を採用したり、「カーレンジャー」をギャグてんこ盛りにしたりと、面白いと思ったら最後、周囲の反発も予算的な制約も時間的な問題もことごとく撃破して、従来の「おきまり」を打ち破りまくる作風で知られる。そんな彼が、いかに苦労してこれまでの仮面ライダーの常識を覆すクウガをこの世に生み出したかは、長くなるのでいずれまたの機会にまわすとして。
その高寺プロデューサーがパーソナリティをつとめるこのラジオに、オダギリをゲストとして呼んでくれたのだ。
まあクウガ特集組んでいる事の業界的な意図とかそういうのは措いて、どうやら高寺氏は怪ラジがスタートしたあたりから目論んでいた節がある。
怪ラジスタート時からずーっと聴き続けていた自分は、「そんな大それた事期待してないよ、クウガに関係する人がたまに現れてちょろっと当時のことに触れてくれれば嬉しいよ」などと遠慮深いふりをしながらも(←オダギリファンのサガ)、心のどこかで思っていた。

(万が一、10年後くらいにでもオダギリを呼んでくれたらアレ聞いてくれないかなあ‥‥)
(でもこういう不愉快な話題を振るのは役者さんに失礼だもんなあ)

そしたらなんとこの秋になっていきなり2ヶ月にわたってのクウガ15周年記念特集! そしてオダギリゲストが実現してしかも

本題が黒歴史疑惑の真実だった!(  Д ) ゚ ゚

そのへんまったく知らない方も多いだろうから説明すると、「黒歴史疑惑」(この言葉を使うのすらイヤだが)というのは、
オダギリは「仮面ライダークウガ」の主演を封印したがっている、無かった事にしたがっている、語りたがらない、プロフィールから消している、とかとかとか、そういう噂が長いことネット界隈で広まって、それを真に受けた特撮ファンの人たちからそりゃもう酷い言われようで、それに対して

「言っておくけどオダギリはクウガ出演誇りに思ってるから!」
「いまでも飲み会とか関係者の結婚式とか付き合い続いてるから!」
「てかテレビでも雑誌インタビューでもさんざん語ってるから!」
てか「大魔神カノン」見てねえのかこのニワカどもが! ←オレ

‥‥と、やっきになってそれを否定するクウガファン&オダギリファンVSアンチみたいなネット上の闇の抗争がずーっと続いていたのである。
自分なんか「見たいものしか見ないアホにかける言葉はねえ」とか思って放置していたが、古くからクウガとオダギリを愛するファンの方々は地道にこの噂を消すべく、まとめを作ってリプしたりして、ほんとにほんとに涙ぐましい努力を続けていらしたのだ。

で、この件に対してこれまで明確に公式的な見解は出されていなかった。
当たり前だ、ネット水面下の悪意ある噂をいちいち否定してくれる公式なんてないだろうし、オダギリさん本人はそんな抗争ご存知ないだろうし(ご存知であって欲しくないし)、そもそも番組が終了して15年も経ってるんだからテレビ朝日にもバンダイにも「クウガ公式」なんて存在していない。

だから「根も葉もないデマでオダギリ誹謗しないでくれ」と思うオダギリファンは半分あきらめていたのだが、
なんと15年経ったいま、当時のチーフプロデューサーだった高寺成紀氏が立ち上がってくれたのだ。




かくてオダギリファンとクウガファンが狂喜乱舞の「怪獣ラジオにオダギリ出演」が実現。
確かに今さらこんなこと真正面から聞けるの高寺さんだけだよね(笑)

そしてファンもマスコミも聞くに聞けなかった噂の黒歴史問題に対する高寺氏の斬り込み方ときたら、リスナーの想像以上に鋭かった。


事情説明だけですっかり長くなったのでいったん切る。