Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

「ムジカ・ピッコリーノ」#12 密会の次は恋文ですぞ!

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若かりし頃の、いかがわしくもセピアなツーショット写真を前に
「彼ってば何で今頃現れるの、あなたは一体何を考えてるの」と、オトメに思い悩む司令官。
もはや元カレに振り回される二十代女性的な(笑)

そんなところにブートラジオが受信され、
「今、僕は西の都レナトスにいます。ここには実に優雅なモンストロが眠っているとか‥‥」
その声に思わず目を見開き、速攻でメロトロン号に入電
「かねてより調査してまいりましたMr.グレープフルーツと、偽ドクター:ドクトル・ジョーが同一人物だとわかりました!」

いや、今頃かよ!

と、全視聴者が突っ込んだに違いない(笑)
そんな司令官からの指令をちゃっかり盗聴しているドクトル・ジョー。
「まずいなまずいな~。ローリーちゃんに、感づかれちゃったな~。どうしようかな~」

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お前らどういう関係なんだよ!

もはやモンストロ治療よりこっちが本題になっている視聴者をよそに、メロトロン号の一同はドクトル・ジョーを警戒。
でもなー。
男前に憧れちゃってる乙女(本物)に「あの男に関わるな」とか言われたってなー。
てな感じのアリーナちゃんの前に届いた一通のお手紙。

古典的やな!(笑)

正体バレることをちゃーんと見越して前回アリーナちゃんの名前をきいておいたんだね。ジョー、完全に(司令官より)一枚上手。
「いっしょに入れておいたカラスの羽が、きっと役に立つはずです」
なんて小粋な計らいで乙女アリーナの心はさらにぐぐいっとジョー寄りに。

そんなジョーのメッセージが活きて、今回のモンストロはチェンバロと判明。
チェンバロってこれまで絡む音しか印象に残ってなかったけど、こうしてメインで演奏すると本当に美しい音色だな!
上下の鍵盤同時とか三段階チェンジとか、ギミックな作りがまたたまらん!
そしてモンストロ・ルネの美しいこと美しいこと。
モーツァルトの「きらきら星変奏曲」にふさわしい古典派仕様。
専門家のマーヤさんの衣裳も19世紀初頭っぽかった。

それにしてもリヒャルト船長~~!
とうとうアリーナちゃんみんなに隠しごとしちゃいましたぞ~~!
「しばらく姿を消します」なんて完全に恋の常套手段ですぞ!
危険ですぞお~~!(嬉々)

「ムジカ・ピッコリーノ」#11 もうデートしてますけど

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「娘をヨメにやるなどこの俺が許さん!」
などと今から息巻いてる世のお父さん方に物申しますけどね。

無駄だから。

大人の色気がただよう年上の男に「関わるな」とか年頃の娘に言っても無駄だから。
それが時おり姿を現しては知らないことを優しく教え諭してくれる謎めいた男前だったりしたら果てしなく無駄だから。
ましてや「あいつは得体が知れない」とか「良からぬことを企んでいる」とか「危険な男だ」とか、

むしろ燃料投下してるから。

‥‥というわけで、この先リヒャルト船長の苦労が火を見るよりも明らかに予測できる視聴者なのであった(笑)

それにしても鬱蒼とした森の中のドクトル・ジョー美人だったなあ。

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舞台はまたまたジパング地方。それも神々しい雰囲気の森の奥。
エキゾチックなアリーナちゃんの容姿とあいまって、もはやこの世のものとも思えぬ幻想的なツーショット。

切り株を題材に、「僕ならまず楽器を作ってみるけどなぁ」
木の実を入れてかきまぜてみる。
弦を張って切り株ギター。
ピアノにしてみたら? ラッパにしてみたら?
アカデミーの教科書通りの手順を踏もうとするアリーナに、のんびりペースで治療方法を伝授するドクトル・ジョー。
覚えの早いアリーナの様子に満足そうに笑みを浮かべる様子ときたら
五百旗頭さんこんなとこでまで出張指導っすか!

みたいな(笑)

ドクトル・ジョーに誘導されてたどりついた答えは「和太鼓」
We will rock youかと思ったら超絶ロックな「村祭り」でビックリしたよ!(笑)
そして奏者は「トドロキ」さんだったよ!
エレキギターじゃないのかトドロキ! あいかわらず鍛えてんな!(と意味不明に盛り上がる響鬼視聴者)


さて、アカデミー卒業前に忽然と姿をくらましたというドクトル・ジョー、どうやらアカデミーとは異なるモンストロの治療手法を展開しているらしい。果たして無免許医師なのか? むしろ楽器の製作者的なベクトルを感じるんだが。


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「重版出来!」#10-2 異論があるならベルサイユに来い!

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さて、前回の感想では、ワタクシ三蔵山先生に倣って抑えに抑えてきました(あれでも)
なぜならば、あそこで五百旗頭(いおきべ)=オダギリジョーを語ってしまうと、ただでも長い感想がさらに収集がつかなくなること請け合いだったからでございます!

こっからが本題でございます!(マイク鷲掴み)



まず、この物語の真の主役が誰かといえば、それは三蔵山先生、もとい、「出版に関わるすべての人(読者を含めて)」であるといえよう。
一方で、ヒーローはというと、これは間違いなく三蔵‥‥もとい、黒沢心であろう。

何しろ彼女はブレない。
第1話冒頭から「ブレない」体軸を評価されるという、世にも珍しい体育会系女主人公。
出会う人々とまっすぐに向き合い、失敗してもめげない、くじけない。精力善用、自他共栄で回を追うごとに成長していく。
高畑の移籍騒動で「自分の責任です」と謝罪した姿なんかもう、こんなに清々しく男らしい主人公、男でもそうそういない。

ではヒロインは誰なのか?
‥‥言うまでもあるまい、五百旗頭 敬だ(笑)

それもあれだ、キャーキャー騒いで主人公の足引っ張る系ではなく、優しく穏やかに主人公を導き、諭す、有能で美人な理想のヒロイン。
例えていうなら「銀河鉄道999」のメーテルだ。

ワタクシはここに「五百旗頭≒メーテル説」を提唱する!

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なにしろ徹頭徹尾「デキる男」五百旗頭 敬。
それも主人公に編集者としての理想を教え導くポジションだ。
心の成長に伴っているかに見えるこの物語は、実は、五百旗頭によって導かれているのである。

覚えているだろうか、第1話で彼は心にこう語っている。
「週刊連載っていうのはさ、ゴールのないマラソンみたいなもんなんだよ」
「三蔵山先生は、週刊誌で30年以上休みなく、第一線を 走り続けてきた。並大抵のことじゃない。そんな人が、走るべき道を見失った時、どんな言葉をかければいいのか‥‥」

はい、わかりますね!
「重版出来!」最終話は、この第1話とまるっきり対になっておるのです!

30年以上連載を続け、心が折れてマンガ家をやめようとした三蔵山先生。
40年の集大成として近代芸術文化賞を受賞し、「マンガ家人生に終止符を打つ」という三蔵山先生。

「どういう事だ五百旗頭!」
という編集長のリアクションも同じなら、真っ白になった五百旗頭の表情もまったく同じで(笑)
しかしその背景はまったく異なっている。

第1話時点で三蔵山の担当になったばかりだった五百旗頭は、その後(ドラマの背後で)ずっと、走り続ける三蔵山先生に伴走していたのだ。
実は6話で心が中田をアシスタントにしてもらうために三蔵宅を訪ねたシーンで、さりげなく伏線があった。
「五百旗頭くんとの打ち合わせから新しいものを作れそうだ」
そう、三蔵山先生はあの頃からすでに「新しい冒険」への準備を進めていたのである。

思えば登場時から「(ほぼ)理想の編集者」であった五百旗頭。
決して奢ることなく作家に寄り添い、適切なアドバイスで新しいアイデアを示唆し、ナイーブな新人作家のケアも万全、後輩の指導もバッチリ、エクセル処理も完璧(←大事)
しくじったといえば「高畑移籍事件」だが、これも担当は心であって五百旗頭が起こしたことではない。単に「クールで有能で理性的すぎで愛を伝えるのが苦手だったから、これからはちょっと情熱的になりましょう」とか、むしろステキ要素じゃんそれみたいな(笑)
心のみならず営業小泉からも「カッコいいいいいい~~」と憧れ慕われ、あげくの果てには視聴者からまで
「五百旗頭が手に入るなら悪魔に魂を売る!」
「五百旗頭に指導されたい!」
「ていうかミミズになりたい!」

みろ、メーテルやんけ!

そのメーテル五百旗頭が各話の中で残した印象的な言葉の数々。

たとえば3話でうっかり心に
「編集者は誰に給料もらってると思う? 読者だよ」
と説教したらメモ書きされて貼りだされて凄い勢いで回収したりとか(笑)

4話では東江を手放して嘆く心に
「編集者と漫画家の出会いなんてそれこそ運命みたいなもんなんだよ。
星の数ほどいる中で出会った以上は全力で相手のことを思って、その気持ちに応える
とロマンチックフォローしたらのちのち小泉にまで披露されてたりとか。

5話では「ここぞという勝負のために運をためる」社長ゆずりの信条を紹介し、7話では「担当した新人さんにどんな作家になってほしいか」と訊かれて
「担当が変わっても、雑誌を移っても、ひとりでどこまでも泳いでいける作家」
と答えている。

各話で心が手に入れる「答え」はほぼ、五百旗頭の信念なのだ。
(ほぼ)理想の編集者としての彼の言葉はそのままこのドラマのテーマである「理想の編集者とは?」への答えであり、それをそのまま吸収して心は成長していく。

そして迎えた最終話。

「大切な相手に好きと伝えられない」という、弱点ともいえない弱点を克服した五百旗頭にもはや隙はない。
誰にも言わずひっそりと「ドラゴン急流」の近代芸術文化賞受賞を信じ、準備を整えていた五百旗頭。
あの「狙ってたんです」に胸を撃ち抜かれなかった女が(男も)いるだろうか!

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っていうか、気付いた人も多いと思うが受賞本命と言われていた「ツノひめ」も「HITTI-POTTI」も、そもそも五百旗頭が立ち上げた企画だ。そして三蔵山先生を蘇らせ、その信頼を得て「ドラゴン急流」を受賞させたのもまた五百旗頭なのだ。
なんじゃこの五百旗頭無双状態は!

そう、五百旗頭こそが三蔵山先生に「新しい冒険に付き合ってくれ」と言わしめる、理想の伴走者、最良のパートナー、理想の編集者だった、ということなんである!

「理想の編集者とは何か」を追ったこの物語は、要するに編集者と作家の関係性を描いた物語でもあり、
だから自分は断言する。
すなわち五百旗頭と三蔵山先生の物語でもあったのだと!



‥‥え、心と中田伯じゃないのかって?
そういう見方もあるかも知れませんね(棒)


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♪さあ行くんだ その顔を上げて 新しい風に心を洗おう
古い夢は 置いて行くがいい ふたたび始まる ドラマのために

おやまあ、ピッタリじゃないか!
ふたたび始まる「重版出来!」2時間スペシャルドラマを座して待つぜ!

「重版出来!」#10-1 会心の一本を獲ったのは

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すごく良い原作だし。
神がかったキャスティングだし。
どの回も演出が上手いし劇伴も泣けるし、美術スタッフの丁寧な仕事も公式アカウントの熱心な宣伝も、どれもこれもいう事なしのドラマだったんだけど!

自分がこの「重版出来!」を見続けてきて、もうどうにもシビれたのは、何を隠そう(隠れてないが)脚本の野木さんの手腕だ。
第1話から最終話を見据えて、練りに練って作りこまれた構成の緻密さと揺るぎなさ。
そして最後までブレずにきっちりと納めきったこの根性よ。

自分はあまりドラマを見ない方なので、野木さんの脚本をすべて見ているわけではない。
コレはすごいなと唸ったのは「空の広報室」の時だ。
原作付きのドラマにありがちな残念な部分が一切なく、むしろ原作の良さをさらに引き立てるストーリー仕立てはお見事! と言うしかなかった。
今回もまた、エピソードの入れ替えや合体、オリジナルエピソードの挿入にまったく違和感がなく、むしろキャラの奥行きを深めるその手腕にはひたすら感心、というよりむしろ戦慄を覚えさえした。

まず、第1話では新入社員の黒沢心が語り手となり、配属された週刊バイブス編集部でいきなり三蔵山先生のピンチに直面、会心の一本を取る。
ここで心の抱いた「理想の編集者とはなにか?」という疑問こそが、全10話におよぶ「重版出来!」のメインテーマだ。
2話以降、視点こそ営業の小泉や新人作家の東江、他の編集部員たちなどに替わっていくものの、それらの物語をひとつの結論にまとめ、最終回へと導くのは、10話でふたたび語り手となった心だ。

「理想だけで仕事できる人はこの世にどれだけいるのだろう」と傷つく安井。
「ただ、マンガの中だけで生きていたかった」と嘆く沼田。
「大人は子供の前でカッコつけなきゃならんでしょう!」と叫ぶ和田。

物語の中ではさまざまな立場の人物の、さまざまな葛藤が描かれる。
そしてその葛藤が、別の人物の葛藤との対比となり、エピソードがつながっていく。たたみかけるように回収され、あらたに展開する伏線の数々は、なんだか宝探しのようで。
中田のサイン会から受賞式にかけてのくだりなんか、もう、五百旗頭の「狙ってたんです」に唖然とする編集者たちみたいな顔で画面を見つめていたぞ自分は!

というわけでワタクシはここに「野木亜紀子≒五百旗頭説」を提唱する!(笑)

社長の過去からつながる「重版出来」の意味。
小泉や岡部長が靴をすり減らして切り拓く営業の力技。
「良い本を読んでもらいたい」という書店の河さん、北野さんらの熱意。
「売れるための」カバー装丁を手がける野呂さんの集中力。
出版に関わる人たちの、本を売るために重ねられた努力が。

作家になれなかった沼田の、
作家になってしまった東江の、
そして作品を生み出し続ける三蔵山、高畑、中田、後田といった作家たちの痛みが。

そして、そんな作家たちを守り、雑誌を守るために闘う編集者たちの苦しみが。

それらが9話までに語り尽くされていたからこそ、
「そんなもの要らない」という中田伯に視聴者は、断固として
「それが必要なんじゃ!」と思えるのだ。

「ピーヴ遷移」売り出しにスパートをかける、編集の、営業の、書店の、あらゆる関係者たち。
その熱意に動かされて、ついに中田自身が変化していく。
すべての回で描かれたすべてのエピソードがここに絡み、クライマックスに向けて集約されていくこの快感といったら!
ずっと心といがみあっていた安井までが売り出しのアイデアを出したあたりで、思わず鳥肌が立った。

そんな「ピーヴ遷移」の重版が決定したところで物語は終わる。

誰もが闘っている。
うまく行かない、思い通りに行かない、裏目に出る、世情に逆らえない、数字に逆らえない。
シビアな現実を真正面から受け止め、描いてきたたからこそ、「重版出来!」というひとつの言葉で、そこにいる全員が喜びを爆発させるこのシーンがキレイ事ではない、本物になっているのだ。

「自分が動けば何かが変わる」というメッセージが視聴者にダイレクトに伝わる、本当に素晴らしい脚本だった。
(伝わりすぎて突き刺さって、放映中は毎回、マンガ家や編集者、出版に関わる人々の色々血を吐くようなツイートが溢れかえっていたようだが・笑)

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五百旗頭も踊っていた。一応踊ろうとはしていた。


‥‥とまあ、視聴直後自分の心にはこんなような感動が溢れかえったんですけども。
あれから1週間たち、そろそろ自分の中で整理がついたかなと振り返って、いまだに収まっていないのが、近代芸術文化賞漫画部門受賞パーティでの三蔵山先生だ(笑)


「人生は素晴らしいもの」と作品で訴え続け、それが伝わらないと嘆き筆を折ろうとした三蔵山先生。
沼田らアシスタントたちを温かく見守り、そっと支え(というか、そもそも作家というフリーの立場でアシスタントたちを養うことの大変さが安井回で語られている)
他人を拒絶する中田伯の異能も、過去も、反抗期(笑)をも夫婦で受け止める。
なんという博愛! なんという天使! いや菩薩か! 三蔵山 龍、生ける菩薩!
‥‥とか思ってたら、菩薩いきなり壇上でマイクわしづかみに

「天才も凡人も年齢も性別も人種も国境も関係ねえ!」
「オマエラに負けねえ!」
「かかってこいやー!」
(意訳)


(  Д ) ゚ ゚


かっけえええええええ!


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全っ然似てませんが何か!


あの小日向さんが、ここまでずーーーーっと、穏やかなセリフ、抑制のきいた演技をしてきた理由はこれだったのか!
シーンと静まり返った会場に、そういえば、第1話で心が三蔵山先生に「会心の一本」について語った場面を思い出した。

「頭の中も‥‥あたりもシンと静まって、永遠みたいな一瞬のあとに、主審の、『一本!』って声が響いて(中略)
 そのとき初めて、決まった! とった! って分かるんです」
「気分いいでしょうね、その瞬間」
「はい! と~っても!」

ある意味三蔵山先生で始まって三蔵山先生で終わった作品だった。

‥‥真の主役は小日向文世だったでFA。

「ムジカ・ピッコリーノ」#10 何も考えてなかったりしてw

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ブートラジオから流れるMr.グレープフルーツの声になぜかイラつくローリー司令官。
それはそれとして謎のドクトル・ジョーの存在が報告され、むしろそっちが急務とこれまでのアリーナちゃんの報告をきくことに‥‥

‥‥という流れでおさらい回だった。うまいな。

箏のモンストロ・コトフルヌーに、グラスハープのグラッシェリー、オーボエのボエッタ、そして二胡のアルフレオーネ。
どの回もとても印象的で、他所では聴けない奏者たちのセッションがもう一度聴けるのも嬉しいなあ。

で、なんだかんだとどの回でもモンストロの情報をくれるMr.グレープフルーツと、親切にヒントくれて去っていく謎のドクトル・ジョー。
怪しいことこの上ないのにすっかりファンになっちゃってるアリーナちゃんの報告はなんとドクトル・ジョーの似顔絵付き。

タイトルが「ドクトル・ジョー」で、うわあいよいよ今回謎の男の正体が明かされちゃうのか! もうちょっと引っ張ってくれてもいいのになーとか思っていたので、ちょっとほっとしたり(笑)

‥‥とか思ってたら、最後の最後に爆弾投げてったよ!
ローリー司令官とドクトル・ジョーのツーショット!

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すまん司令官まで描く暇なかった(酷)

ほらねー! ほら言ったでしょ! 司令官と同じ手帳持ってて気になるって言ったでしょー!
そもそも他人とは思えないレベルで同種族のにおいプンプンだもんよこのふたり!
などと思わず子供レベルではしゃいだのはいいが、さて、この先どうなるのか。

ふたり並んだ写真を見るに、ムジカアカデミーのかつての友人?
だとすれば司令官を「おじさん」呼びしていたアリーナちゃんにとって、ドクトル・ジョーもおじさん枠に入ってしまうのか?
でもアリーナちゃんジョーにうっとりしてからなあ。

「ジョー、あなたは何を考えてるの!」

どうもこの叫びからして、昔から司令官の方が弄られてたっぽい力関係を感じるんだが。

2期のビアンカの話とか3期のエリオットの正体とか、シーズンごとにストーリーの縦軸になる「謎」がちゃんと通っていて、子供向け番組とはいえ非常に面白い。

ところで司令官、Mr.グレープフルーツの声きいてまだ同一人物だとわからんのか?

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「重版出来!」#9 メガネは本体じゃなかった的な。

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さて、お待ちかねの第9話。
今回はオダギリ演じる「常にクールで非のうちどころのない」副編集長・五百旗頭(いおきべ)がフィーチャーされたわけだが。


人気連載「ツノひめさま」を企画から立ち上げて成功させ、大御所・三蔵山先生からも信頼される有能な編集者。
私生活でも行い正しく超がつく善人(本人的には「運溜め」らしいが)。
主人公の心のみならず営業の小泉までが憧れ、編集長の信頼も篤く、あの安井ですら(笑)よっぽどの事がない限り噛みつかない、誰からも一目置かれる五百旗頭 敬。

しかし、その五百旗頭にとってさえ、人生は「あれで良かったのか?」の連続だったようだ。

「HITTI-POTTI」の井上先生をエンペラーに送り出したのは正しかったのか?
高畑の引き抜き現場を見つけて追った自分は正しかったのか?
追ったはいいが、今どうするべきなのか?

クールな外見と裏腹に、オダギリの声で語られる五百旗頭の内心はブレまくっていて、なんつーか内心と見た目のギャップがありすぎて面白いw

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もうこのネタわかる人も少ないだろうかw

常に冷静な(ように見える)五百旗頭の弱点は、まさにその「冷静さ」にあったようだ。

井上氏の件だけでなく、なんとバツイチ原因までが「冷静すぎるから」だったりして、要するに自分の本音を相手に伝えることができないタイプらしい。
そんな五百旗頭が殻を破るきっかけとなったのが今回の「高畑引き抜き」‥‥というよりは「ツノひめさま」連載終了」騒ぎだったわけだが。

こんな事言うのも何だが、正直、五百旗頭そのものにはそれほどドラマ感がない(笑)
ドラマというのは、その人物に何らかの「欠如」あるいは「過剰」な部分があるからこそ際だつものだからだ。
五百旗頭の場合、本人の出来が良すぎて、今度の挫折も他の編集部員ほどには「ヤバい感」がない。
だから今回のエピソードではむしろ、心の担当編集者としての成長と覚悟の方に感心した。

「小熊には言うな。あいつはきっと、泣く」という高畑も、
中田伯の連載に向けて必死な心に高畑の件を伝えられなかった五百旗頭も、
黒沢心という人間を愛してはいても、編集者としてはまだまだ育ててやらなくてはならない存在だと思っていたのだろう。
だが当の心は、「浮気亭主が急にやさしくなるアレ(by壬生)」的な高畑のねぎらいメッセージから、ばっちりエンペラー接触の証拠を見つけ出し、編集部内でも「責められるべきは私です」と謝罪をする。

なんという男前!
高畑の気持ちも五百旗頭の気持ちも編集部の葛藤も、すべて受け止めたうえで、
「ツノ姫の最終回まで、先生と一緒に走らせてもらいます。エンペラーで好きなものを描くのはそれからです」
あいつは泣く、と言った高畑の方がよっぽど泣きそうになってるじゃないか!
心さん、かっけええ!

ま、それはそれとして、やはり今回のハイライトは「五百旗頭さん殻を破る」なわけで、
信頼していた高畑の引き抜き騒動に傷つき、
編集部での(主に安井の)嫌味に傷つき、
とどめにエンペラー見坊の嫌がらせに凍りついた五百旗頭暴走シーン。

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冷静すぎる男・五百旗頭が理性を吹っ飛ばすには、わざわざメガネをはずす必要があるらしい。
五百旗頭のメガネは「理性」なのかwww

さけぶ五百旗頭! 走る五百旗頭! そして意味不明の愛を告白する五百旗頭!
世間では「クールで男前で優しい五百旗頭にオダギリさんぴったり」などと評価されていたが、ファンからすると泣いてわめいて走って感情を爆発させないオダギリには意味がない。
ようやく五百旗頭役にオダギリが配された意味を見た。

一方で、恐ろしく計算され尽くした心情表現の細やかさにも注目して欲しい。
たとえばあの絶叫シーンも、普通なら勢いにまかせて乱暴にメガネはぎとって叫ぶところだろう。
しかし、五百旗頭は違うのだ。
フレームが歪まないように丁寧にメガネをはずし、しかるのちに吠える(笑)

愛を表明した後も、乱れているのは髪くらいで表面上は落ち着いている。
そのくせ、高畑と見坊の問答をききながらその目は、不安そうに、意表をつかれたように、そして嬉しさを隠しきれなかったりと、くるくる内心の変化を見せ付ける。

「お前、(ツノひめの)ファンだったのか」
と高畑にあきれられた五百旗頭が
「‥‥はい」
と答える、その一瞬の「‥‥」の間の表情の移り変わりが絶妙で。
オダギリジョーという役者の凄みは、実はこういう内面の表現にあるのだ。

というわけで実に(オダギリファン的に)オダギリ満載の、満足の回であったー。


さて、「欠如あるいは過剰」という意味でいうなら、この人こそはドラマとしての王道主人公といっていい、中田伯。
親に虐待されたがゆえの、共感能力の欠如、物語があふれ出てもてあますほどの感情と才能。
三蔵山先生とアシスタント仲間のおかげで乗り越えかけた最後のハードルが「女性キャラ」。
母親に虐待され、他人すら理解できない伯にとって「女性」なんて宇宙人や生命兵器の方がマシなくらい理解できない存在だ。

苦しんで苦しんで苦しんで(でも心はモデルにはできないらしいw)、そんな彼の目の前に現れたのが、あの後田アユちゃんだった事に、鳥肌が立った。

他人を受け入れることができなかった伯が、一瞬接触しただけのアユちゃんを受け止められたのは本能的に同じ傷を感じ取ったからなのかも知れない。
守るべき「親」から傷つけられてきたふたりの子供が、マンガに救われたことがものすごい救いだと思う。


新人・黒沢心のナレーションで始まったこのドラマは、小泉→壬生→東江→久慈社長→安井→沼田→編集長ときて、今回五百旗頭の内面を描くに至った。
編集者として理性的すぎた五百旗頭は自分の感情を表明することができるようになり、その五百旗頭に憧れていた心は、「作品のファン」から、「理性的に作品をプレゼンできる」編集者に育った。
今回のこのふたりの対比は、「理想の編集者とは?」というドラマ全体の問いかけに対して、(心にとっての)理想の編集者だった五百旗頭の変化を描くことで、心の成長を示していたと思う。

最終回、バトンは心に戻る。
「理想の編集者とは?」という問いかけに、どんな答えが用意されているのだろう。

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さすが主役回、シャツバリエーションは6パターンあった!

「ムジカ・ピッコリーノ」#9 イケメン無罪的な。

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アリーナちゃんがやっと、ブートラジオの声の主に思い当たったようです!
そうそう、そうです。その声です!

‥‥ってなんかもう普通に現地で待ち構えてるし、とっととヒントを渡すし、わざとらしい言い訳も以下略で去っていくし、ドクトル・ジョーだんだん手を抜いてないか?(笑)
話をそらしているわりに、本人は全然正体隠す気がないように思えるのだが。

とりあえず今回の「ウネウネした声のモンストロ」の正体は二胡だったとな。

二胡はわりと胡弓と間違えられる事が多いが、全然別物だ。
なんたって弦が2本だし、ニシキヘビの皮で作られているし。
っていうか胡弓は日本の楽器で二胡は中国の楽器だ。

今回のピリオドモンストロであるアルフレオーネの形状が六角形なので、おろらく蘇州二胡だと思われる。
ということは、シーシャオ地方というのは蘇州(Sūzhōu)に違いない!(蘇州夜曲演奏してたし)

そんなわけでチャイナ感満載のシーシャオ地方でコスプレドクトル・ジョー♪

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毎度毎度同じような飛行艇での絵ばかりなので(笑)、今回は趣向を変えてみた。

二胡は「電脳箱庭」のはるさんち
長袍と中華椅子は「流転四界」のKyotaroさんち
中華風の東屋(Chinese Gazebo)はレンダロのフリースタッフで貰えました。
いやはやこんだけのチャイニーズ素材が無料で手に入るってPoser界すごいよな!

作中でかかった蘇州夜曲のように、ゆったりした曲のイメージが強い二胡だが、治療曲の「賽馬」はモンゴルの民謡をベースにしているだけあって、非常にキレのいい活気あふれるリズミカルな曲で、ちょーカッコいい!
目覚めたモンストロ・アルフレオーネがまたカッコ可愛くて(たぶん麒麟だな)、四肢から火噴いて駆け出していく様は思わず「轟天~~~!」とか涙せずにおれない牙狼ファンであった。

で、とうとうドクトル・ジョーを怪しんだ船長、ついにアカデミーに問い合わせをする。
次回、サブタイトル「ドクトル・ジョー」
ついにMr.グレープフルーツことドクトル・ジョーの正体が明らかに!!


てな物語的盛り上がりとは別に、個人的にはドクトル・ジョーのアレにアリーナちゃんがうっとりしてるのが気になってしょうがない。

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‥‥ありなのか? ティーン的にそれはありなのかっ!?
「ドクトル・ジョーも見ててくれたかな?」
って、もう盗聴も海賊放送もコミで受け入れてるのかアリーナちゃん!

「重版出来!」#8 みんないい人(エンペラー除く)

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ひとつのエピソードが別のエピソードの伏線になり、肉付けになり、物語は終盤に向けて進んでいく。
そんな第8話。

コンビニで雑誌を買えるようになった。
ネットで本を買えるようになった。
っていうか、近頃はそもそも本を(マンガさえ)読む人が少なくなってしまった。
町の書店は次々に潰れる。取次ぎも潰れる。つーか出版社が潰れる。
それでも本に関わる人たちは、少しでも良い仕事をしようと必死で努力を重ねているのだ。
マンガを描く人、編集する人、印刷する人、製本する人、流通に関わる人、そして書店で売る人‥‥。

「私ら大人は子供の前でカッコつけなきゃならんでしょう!」

という編集長の言葉は牛露田先生を救った。
山縣留羽先生の「100万オトメバイブル」は14歳の河さんを救い、
今またアユちゃんの心を救った。
岐阜のキタノ書店の熱い思いは和田編集長の心を救った。
「妖怪パタパタ」もといエンペラー営業にへこんだ小泉くんの心を救ったのは、河さんの書店員としての信念だ。

そして――小泉くんが出した手紙は、とてつもないご褒美を河さんに届けることになる。

とても美しい、蜘蛛の糸のように張り巡らされた美しい「救い」の連鎖だった。
もちろん、人生は美しいだけではない。
このドラマは、現実の厳しさ、もどかしさ、残酷さをも容赦なく描く。
本屋はつぶれるし、沼田くんは酒屋になってしまうし、やっと娘と向き合うことができた牛露田先生はもうまっすぐな線を引くこともできないのだ。

でも、キタノ書店は起死回生の「独自性」を打ち出そうとしている。
沼田くんの存在は、今苦悩する中田の心を切り拓こうとしている。
牛露田先生は、マンガ家だった自分への誇りと娘を取り戻した。
元のようには戻れなくても、形は違っても、それでも何かが前に進む。
そんな現実と理想の描き方をしているドラマだと思う。


さて、「読めば読むだけ強くてしなやかな羽になる」本を生み出す立場の中田伯。
「他人を理解する力の欠如が中田の弱点では」という五百旗頭の指摘は鋭い。

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初登場から沼田回まで、さんざん「空気の読めない男」感が振りまかれていたので、これは誰もが予想していただろう。
しかし沼田君の置き土産の落語を聞きながらスランプの泥沼にはまり、「苦労知らず」「マンガがなくても生きていける」と貶した大塚シュートを意識しすぎて、ついには自信喪失してエレベーターでへこたれる姿に、思わずお姉さんたち胸がワクワクと高鳴っ‥‥ハラハラと心配で心配で‥‥なあ?(笑)

それにしても、中田の存在がこんなにクローズアップされるとは。
最初は絵は上手いがネームを作れない東江と、絵は下手くそなのにネームがあふれる中田の対比だった。
前回は帰る場所のある沼田くんと、帰る場所のない中田の対比。
そして今回は、共感力が高すぎる大塚シュートと他人を理解しようとしない中田の対比。

最終的には編集者である黒沢心と、創作者としての中田伯の対比になるのだろうか。

まあ小泉くんや大塚シュートのように素直であるがゆえに立ち直りも早い男の子たちと違い、幼少期に闇を抱えた中田伯の挫折はあまりにも深い。そんな彼の心を、はたして素直属性の小熊ちゃんは救うことができるのだろうか?

‥‥などという縦軸クライマックスを差し置いて話題沸騰になっちゃってるのが
「次回、五百旗頭回!」

高畑に電話するエンペラー副編集長見坊
これは副編集長対決か!?
五百旗頭走る!
五百旗頭わめく!

よっしゃ! やっとオダギリの本領発揮!!

五百旗頭を見て「オダギリさんてカッコいい」とか初めて知った視聴者たちは思い知るがいい!
感情爆発あってこそのオダギリジョーだということを!
面倒な中田ケアは三蔵山先生にまかせて、クールで有能で誠実で非の打ち所のない五百旗頭の乱れる姿を堪能するどー!ヽ(`Д´)ノ

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