Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

青春て恥ずかしいw

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山本兄「これだから明治生まれは!ヽ(`Д´)ノ」
……というのがおおかたの感想であろうと思うが(笑)

実は、前回の「不義の噂」と今回の「駆け落ち」が二話連続している点が気になった。
これが単に山本家に起きた不祥事だと思えば、「何がうれしゅうてどうでもいい一家族の不道徳を長々と見せられねばならんのだ。それより覚馬や襄の文化的貢献を詳しくやらんかい!」
という不平不満になるわけで、まあ自分もそう思いかけたんだけど(笑)、
ひょっとするとあえて、ここで近代日本というものを象徴的に描いたのではないか? という視点もありかと。

まず、今回とりわけ印象的だった徳冨蘆花の存在だ。

出来の良い兄貴にコンプレックス抱きまくり、未熟な自分を口先の理想論で飾り、目の前の色欲に突っ走りたくてはちきれそうだけどヘタレだからこれまた口先だけ、優柔不断を責められると逆ギレしてしかも逃げ出すという、もうヘタレ街道まっしぐらのダメ男。
典型的な戦後世代だ。
戊辰の生き残りとして臥薪嘗胆して教育界のトップにまで上り詰めた山川健次郎博士はもとより、戦後の困窮した時代に必死で勉学に励んだ兄・蘇峰の世代にも及びもつかぬ未熟者だ。

前回のキング・オブ・クズ男青木といい、今回の蘆花といい、維新前にはいなかったこういうタイプの人間こそが、まさしくこの明治時代の若者の象徴なのである。
いわゆる「近代的自我」の芽生えというヤツだ。

近代的自我とは何なのかというと、つまりデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という個人の自覚のことだ。
……ひらたくいうなら「自分は何者なのか?」というアレだ。
もっと平たくいえば「自分探し()」だ。

明治時代の日本が(というか政府が)目指した西洋近代社会の根本にはこの「近代的自我」があって、それまで封建社会だった日本は、西洋に追いつくために急進的にこの近代的自我を取り入れなければならなかった。
「自分は何者で、他人とはどう違うのか」
現代人にとってはごく当然の、自分を主体として考える、という観念が発生したのがこの時代で、それは新しい思考法だったのだ。

維新前後の若者はみな、どんなに身勝手でめちゃくちゃな言動を取っていようとも(松蔭先生とか松蔭先生とか松蔭先生とか)、それはすべからく「国のため」「藩のため」もしくは「(失われた)武士階級のため」だった。
そういえば、第一回めだったかで容保様の言葉に感激したちび八重ちゃんが「私もいつか殿様のお役に立ちてえ!」と叫んでいただろう。
あれが江戸の人間の言葉だ。ちびっこであっても自分を「社会の一機能」として認識する、いわば大人だったのだ。

だが、明治になって生まれた若者たちの行動原理はまったく違う。
蘆花の「書かんと自分じゃおられん。食べるために小説ば書いとるんじゃなか。小説ば書くために食べると!」
という主張が、まさしくそれだ。
いいセリフだよな。うん、クリエイティブな仕事に関わる人間なら誰もが一度は思ってるよな。
でも、よく考えるとものすごく身勝手な言葉でもある(つーか恥ずかしいわ!)
そう、彼らの行動原理は「自分のため」なのだ。

蘆花や青木、あるいは久栄もそうだが、彼ら新時代の若者の言動は、ガキが「自分が自分が」とわめいて大人に迷惑をかけている図、なわけよ。
そりゃもう、八重さんや健次郎博士みたいに戊辰を生き抜いた大人からすれば、
「自分探ししとる間に他国が攻めてきて親兄弟が殺されたらどないすんじゃ!」みたいなもんですよ。

蘆花がめざす小説家という職業も、それが職業として世間には認められていない時代。
そもそも小説というものからして認められていない。
このブログを読んでくれる人の中にピチピチの若者はあまりいないと思うが(笑)、実際自分が子供の頃までそういう風潮は存在していて、「小説なんて遊びでしょ。もっとためになる本を読みなさい」みたいな事をいわれたもんだ。
そう、だから「小説ば書きたい」という蘆花の主張は、ふた昔前くらいに「オレはロックンローラーになる!」「マンガで時代を変えてみせるぜ!」などと夢みたいな未来像を吹かして挫折を繰り返して気づけば三十路超えてもニートかフリーターとかいう、まさしくアレ。

もちろんそれが良いとか悪いとかいうのはまた別の話で。
むしろ、結果としてそこから「小説」「ロック」「マンガ」「アニメ」といった新しい文化が生まれ育っているのだから悪い事ではないだろう。
ただし、社会としての成熟度でいえば、江戸時代に遠くおよばないことは明らかだ。

社会の中で個人が「自分はなんなのか」とか問いだすと、相応の教養と才能と常識を持った人間で無い限り、行き着くところはDQNにしかならないと思うのだが、四民平等とか自由とかいう盾を手にしたとたん、「我もわれも」と飛びついてくるんである。教養も才能も常識も持たない人間が。
誰もが「自分は特別だ」と主張し、誰もが「他人と比べて自分は」と不満を持つ。それが新時代。
逆に、個人の好き勝手は考慮されず、身分の固定された封建社会では、個性などというものは害悪扱いされる。しかし固定された枠の内で人々は十全に機能を果たし、社会は安定していたのだ。

「明治生まれか」という覚馬のセリフは、べつに「このゆとり世代があ!」という憤懣ではなく(笑)
どれだけ開明派としてはじけていようとも、結局は藩士として身分の確定していた自分の時代とは違い、自由である事とひきかえに、将来的な保証が何も無い、己の才覚ひとつで野垂れ死にと背中合わせの若者の不安を慮って言ったものだと思われる。

そう思ってみると、前回の「不倫疑惑」も同じようなアプローチで描かれていたように見えてくる。
自分は前回の感想で、時栄さんの積もり積もった(であろう)不満とは、山本家の人々へのコンプレックスではなかったか、と推理していたのだが、それは言い換えれば、近代的(女性の)自我の芽生えを描いたものではなかったかと。
つい最近まで、女性が男性と同じように学び、社会的地位を持って活動するなどありえない話だったわけで、そんな中、特殊例とはいえ男性と同様に戦い、学んでいきいき働く八重さんや高学歴な娘たちを見て「なぜ自分は」と思わずにいられなかったのではないだろうか。

明治中期という、時代と時代のはざまで、日本という国がきしむようしてに育っていく成長過程(@厨二病期)がここで読み取れる。
前回は「明治の女性」、今回は「明治の若者」と、いずれも新時代における自我というものの転換点を描くために、山本家で起きた事件の流れに沿って、同じテーマの二作が並べられたのではないだろうか。
というか、そうでも思わないと、ただでも尺が足りない中でことさらこの二話を取り上げた理由がよくわからん。

そして、もしそうだとしたら、髷を落とさず、最期まで江戸の名残をまとっていた新島父の死は、ある意味これも象徴だ。
「子は思うようにはならん」といい、それでいて結果的に新しい世界を持ち帰った息子を認め、励ます父親。
出番は少なかったが、新島民治の最期は、「江戸」という日本の前時代が、さまざまな齟齬や確執をかかえつつも未来に向かって進んでいく「明治」に国の舵取りを明け渡した姿、成熟した大人文化から、未熟ではあるが新進性に富んだ若い文化への移譲を表しているのかもしれない。


131120-blog1.jpg



……とかなんとかそんな切り口でとりあえず脚本擁護してみたりしたんだけどー、次回予告の
「主はなぜ時を与えてくださらないのか!」と慟哭する襄先生を見た瞬間、
「ロクデナシ明治生まれの厨二病取り上げるくらいだったら先週今週すっ飛ばして大学設立話を三回にわけても良かったのにいいい!」
とか掌返しな黒い憤怒が湧き出でて、しかも次の瞬間にはそれすらどこかに吹き飛んでいった槇村のハゲ恐るべし!



ちなみ豪腕元知事のヘアスタイルはほぼ史実らしいですよ。

Comment

sannzi says... "観る人によって作品の価値も違って来るのだなと・・・"
私は前回今回とメンドクサ、という感想を持ってしまったのですが、roseさんの今回解説を読むと、観る人によって、作品の価値も違って来るのだなと、しみじみ感じ入りました。
メンドクサ、と思って観れば、それは其の人に取ってそれなりだし、
>いわゆる「近代的自我」の芽生え
と、
そこまで読み解けば、そういう価値のある作品になるのだなと。

ちなみに私も覚馬の「これだから明治生まれは!」が一番印象に残っていたセリフだったので、新時代における自我というものの転換点を描くために、、と言うのが正解だったと信じたいです。
2013.11.23 11:27 | URL | #u2lyCPR2 [edit]
rose says... "すまぬ~"
>sannziさん
いつも徒に長い感想に付き合ってくださって有難うございます。今回なんか哲学まで出てきて速攻寝そうな内容なのに!

ぶっちゃけ自分も「メンドクサ!」と思った口でして。
だって襄先生影薄いし! 山本家の一大事なのに兄も影薄いし! 蘆花はヘタレだし久栄はバカだし八重さんでしゃばりの上にそこで節を曲げたらいかんだろ! ってとこで何で「わかった」とかいうし、結局何も解決しないまま蘆花やり逃げかよサイテーだな! しかも関係者ほとんど死んでから言い訳がましく小説でしかも事実捻じ曲げて自己弁護かよ徹底してんなこのカス!
‥‥みたいな、ええ、今回上記内容で感想終わりの予定でした(笑)

しかし、曲がりなりにも一年間、作品世界と付き合ってきた身としては「つまんねえ」ですますのもシャクですし(笑)あと、いくらなんでもプロの脚本家が単に時系列で起きた事件を並べただけとは思いたくないですしねえ。そこには何らかの意図とつながりがあるはずなんですよ。
sannziさんにご同意いただけると、無い頭ひねってがんばった甲斐があります(その後頭痛に見舞われました ←マジ)

自分の感じたことが、多少なりとも制作側の意図にかすっていれば嬉しいですが、別の意図があって読み違えていたとしても、
「だからこういうガキは嫌いなんだよ!」
というワタクシの根本理念には沿っているので、サイト的には良しとしたいです(笑)
2013.11.24 00:27 | URL | #4SZw2tfw [edit]

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