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非戦と反戦

Posted by Lazyrose on   2 comments   0 trackback

いやあなんちゅうか、ラスト二回はいろんな意味で感想書きにくそうだな~と覚悟はしてたんだが、ホントに書きにくいな(笑)

まず「戊辰戦争全否定か!」と各地で罵倒の的になってる、覚馬の「戦うことを学ばず」発言については‥‥正直いうとちょっとよくわからない(笑)
全否定とは思わないが、なんであんな事いわせたんだろうな?

ただ、かつて、開戦への道をまっしぐらに辿る会津藩内において、数少ない非戦論者であった覚馬にとって、「戦うことを学ばず」という言葉が単純な反戦論であろうはずもない。

そもそも彼は、公用人時代から常に「国内で争うべきではない。現在は列強の脅威にそなえるべき」と説いて薩長との和合を画策していたはずだ。
だからこそ開戦を止められず、会津が滅ぼされるのを傍観する事しかできなかった己のふがいなさを責めていただろう。
これまで、ただの一度も会津を訪れることを己に許さなかったのは、自分が救えたかもしれない会津を救えなかったことを愧じて、悔やんでいたからだろう。

「会津魂を忘れたのか」と憤る健次郎博士に、
「誠意を尽くすことは尊い。だが、それだけでは人を押しつぶす力をはねかえすことはできねぇ」
と返す覚馬の言葉は、自分には
「もちょっとうまく立ち回ればよかったんじゃね?」
というふうに聞こえたのだがどうよ?

ぶっちゃけ「会津には戦をせずに済む道もあった」と言われても、偽勅を奉じたあげく無理押しの因縁つけられて、何が何でも開戦に持ち込まれた会津にどういう道があったのかとは思う。
少なくとも西郷隆盛はそのへんを自覚したうえで会津を追い詰め、犠牲にした。
戦うことでケリをつけようという武家の理屈ではもう日本という国は立ち行かないから、そうしなくていい世の中にするために戦って政権を奪い取る、という矛盾を、矛盾のままに実行した。
そして自分自身も武士の時代の息の根を完全に止めるために西南の役を起こした。
それに対して「どうすべきだったか」と問われても、覚馬自身が内心「武家の時代は終わるべき」と思っていた(たぶん)以上、答えは出せなかったんじゃないだろうか。

実際、劇中で、覚馬は答えを見出すことができなかったようだ。
その上で、同志社の若き卒業生に後事を託して終わっている。
「いかなる力にも、その知恵で抗い、道を切り拓いてください」
覚馬の問いかけは、現代に至ってなお答えが見つかっていない。ひょっとするとこの先も答えの見つからない問いかもしれないが、それでもその答えを探し続けなくてはいけないのだ。我々はすでに武士の時代を脱却した人間なのだから。

若い世代にこの課題を託すことで、託せるような世の中に変えられたことで、最期に「やっと、帰れんな。皆が待ってんべ」と会津弁でつぶやくシーンは、とても美しかったと思う。


一方、容保様の「過ち」発言。
これもまた、戊辰戦争を否定したものではなかったように思う。

「昨年『平清盛』で始まった武士の世が、今年『八重の桜』で終わる」というのは、この番組始まった当初に笑い話として言われていたことだが、ドラマの終盤に至って、確かに武士の時代が終わったという感慨がある。

それは、単に政権が武家から人民に(実際は違うが)移行した、という意味ではない。「武士の理屈」で世の中が動く時代が終わった、という意味だ。

武士の理屈とは、要するにほれ、歴史の時間に習った「一所懸命」というやつだ。
平たくいえば領地を守るために、そして領地を与えてくれる主君を守るために戦うことが武士の仕事なのだ。
なにしろ侍はそのために扶持を貰っているんだから当然だろう。
さらに、江戸時代になるといわゆる「君には忠、親には孝」という朱子学の思想が加わる。
覚馬が「大君の儀‥‥」と述べた瞬間、健次郎と八重がさっと居住まいを正したことでもわかるように、少なくとも幕末の会津においては、武士とはいかなる行動をすべきかという教育が徹底していた。
現代の人間が「平和は善、戦争は悪」とする思想とはベースがまるっきり違うのだ。

会津の行動原理は、間違いなくこの「武家の理屈」の上に成り立っている。

「そもそも徳川家なんて盟主に過ぎないんだしー、ってか俺らの主は本来帝なんだし!」
などと260年を遡った言い訳を強弁できる外様大名とは違い、徳川こそが「土地を与えてくれた主」である親藩の会津にとって、帝と将軍、双方を守り戦わなければならずという状況はかなり苦しいものがある。
公武合体がうまくいってれば何とかなったかもかも知れないが、あいにく頼みの綱の帝が亡くなってしまっては、会津のたどるべき道はどう転んでも破滅だっただろう。
運が悪いといえばこれほど運の悪い人もいないだろうが、この矛盾に対応できる柔軟さに欠けたことを、容保公自身は終生後悔していた。それが「戒め」だったわけで。

徹底抗戦を選んだことで、戦いに万全の体制を整えずに開戦に踏み切り、結果的に藩士を路頭に迷わせ、領民に大変な迷惑をかけたことは事実だ。
藩主たるものそれを「過ち」と思わずしてどうする。

しかし、そうまでしても守るべきものは、確かにあったのだ。
それが武家の矜持というものだ。
そして何だかんだいっても藩士たちは、殿様のその意思を是として共に戦ったわけで。
その会津の意地を、忠節を、矜持を、後世に伝えて欲しい、ただし自分の判断はそのために藩士や領民を地獄に追い込んだ、そのことも伝えよと。

公は守るべき主君と藩士と領民を守れなかったことを悔いていたのであって、断じて薩長に抵抗したことを悔いているのではない。

だからこそ、山川様の
「あんとき会津までが徳川を見捨てていたなら、こん国に誠の武士などはいなかったことになります」
というセリフが生きるのだ。
山川様のセリフがすべてを語ってるじゃないの。
武士の時代の終焉に、武家の理屈をもって抗ったのが会津だったと。

131212-blog2.jpg


ある意味、戊辰ではなく西南の役こそが、明治維新の本来の戦だったのかもしれない。
武家の理屈が本当に滅びたのはあの戦いにおいてだった。

その上で、「武士の時代」から「平民の時代」へと移った明治時代だが、結局は武士の時代と同じ理屈で同じ「戦」へと押しやられているのが実情だ。
戊辰戦争が起こるべくして起きたように、日清戦争もまた戦いの火蓋は切られてしまっている。

自分は主人公も、容保様も、覚馬も、戦う事を否定していないと思う。
彼らの主張をあえて意訳するなら
「負ける戦いはするな。やるなら万全を期せ。むしろ戦わずして勝てるようになれ」
という事ではないだろうか。
少なくとも八重さんは「浮ついた気持ちでは、イザっつう時に役に立たねえ」とやる気まんまんだ(笑)

後世の我々の目から見ても、「戦はいやでございます」と自己中心的に叫ぶだけのお姫さまより
「戦争はしないほうがいいが、起きてしまったからには出来ることを全力でやる」
という八重さんの方が断然好感持てるよな。
そしてそういう八重さんを育てたのが覚馬なんだから、やっぱ覚馬も同じ考えなんじゃないのかなあ。

まあ、そんなこんなで脚本を擁護するわけではないが、否定もせんなあ。
(御宸翰の扱いと「会津戦記」だけは物申したいけどな!)

ていうか、敗者の責任うんぬん言うならむしろ

慶喜公がぜんぶ悪くね?

ってことでどうよ。


ところで、大河名物心霊シーン(笑)

131212-blog1.jpg

「組!」では源さんがくっきりはっきり幽霊だったし、「江」の信長とかね、見てるほうがいたたまれなかったし。
「清盛」なんか忠盛に崇徳院に祗園女御に、しまいにゃ西行法師がイタコになってたもんね。
その点「八重の桜」ではあえてはっきりと人物を映さず、壁に映った影と、そのまま振り返らずに終わらせることで、
「これは八重さんの心象風景なのだ、決して心霊シーンじゃないのだ」と、一線引いていたのが良かったと思う。

「亡くなった人はもうどこにも行きません。あなたの傍にいて、あなたを支えてくれます。
あなたが幸せであるように。強くなるように」

前回の感想でも書いたが、かつて襄先生が八重さんを癒したこの言葉が、
ふたたびすべてを失った八重さんを救い、奮い立たせる演出はとても良かった。

死してなおヒロインを、そして視聴者の荒れた心を(笑)癒してくれる襄先生マジ天使ってほんとに天使になってたし!

Comment

NICO says... ""
やーもーroseさんが歴史的視点も絡めて解説してくれるので、勉強になるわー。
兄つぁまの言葉も、容保公の言葉も、月日が流れたからこそ言える部分、月日が流れたからこそ少々違う視点で受け止めることができる部分ってのがあると思うので、あれを単純に「自己否定」的なものとして見るのはいかがなものか…と。
あのときから心の奥底に「間違いを犯している可能性」というのは皆感じていたと思うのです。
薩長も会津も。
だけどそれを「今言ってはいけない…今はどんな犠牲を払っても信じた道に進むしかないんだ」と自分で自分を縛った過去だからこそ、時が経って言葉にできるようになったと受け止めたけど。
御家訓こそがソレそのものだものねえ・・・切ないわ・・・。
何にせよ、続々と退場者が出るこの2回、なんかもー涙で前が見えない~。
てか前回の襄先生で久々に大河で号泣しちゃった…。
うん、いい大河だった・・・。
トータルして、こんなにすばらしい大河は久々だ・・・。
と、1回残してまとめに入る(笑)。
もういっそ襄先生の最期が最終回でも良かった気がすんだけど…ダメ?
2013.12.12 22:58 | URL | #- [edit]
rose says... ""
>NICOさん
いやいやいやいや、あなたに歴史言われると、どこ突っ込まれるんかとびびるわ!(笑)
感想も「襄先生らぶりー♪」とかるんるんしてられた頃は良かったですねえ。話が歴史的なものになると、ひとつのセリフを考証するにも十数行説明が要ったりして、切っても切っても短くなんないよう(TдT)
実は一稿では承久の乱まで遡って武家の考え方について説明していたのですが(笑)さすがにはしょりました。

>月日が流れたからこそ言える部分
そう!そうなんですよ。戊辰から二十数年の月日がたってるんですよ。四半世紀ですよ。そんだけの年月送ってて考えが変わってなかったら、そりゃちっとも成長してなかったっつう事ですよねえ!
コレ見て素直に「そうだ戦争はいけない!」と感動するのもどうかと思うけど、「全否定かよ!」ってのも短絡だと思います。
会津に関してだけは付け焼刃ではない年月付き合ってきた私らは、当然のように容保公や山本兄の言動を受け止めるけど、今回初めて会津を知った人たちにとっては「変節」に映るのかね。

感想文では削ったけど、御宸翰をずいぶん気安く扱うなあ、てのと【捏造】会津戦記の存在に関しては、不愉快だった。でも、トータルで見て、NICOさんのおっしゃるとおり、質の高い大河だったなあと思いますね。
ウン、自分も前回が最終回でよかった気がするけど、そうするとこの感想に4日もかかった私の労苦が無駄だということになるの(笑)
2013.12.13 02:13 | URL | #4SZw2tfw [edit]

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