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蹴散らして前へ進め

Posted by Lazyrose on   6 comments   0 trackback

さて、今年の大河ドラマ「八重の桜」も最終回を迎えた。

不満はもちろんたくさんあるけど(笑)、「ここをこうして欲しかった」とか「なんでこの人がいない」とか、いちいちあげてたらきりがないので割愛。良かったところはもっとたくさんあったし、すごく楽しめた。
なんたって維新を会津目線で、そして容保様を大々的に取り上げてくれただけで、会津スキーにとっては有難くて拝みたい話だったんでねえ。
それと、荒廃した京都が教育をもって復興していく話なんて、明治史に興味ゼロだった自分はさっぱり知らなかったので、実に興味深かった。

ただ、これは前回の感想を書いた時に(文量の都合でw)入れられなかったのだが、あえて不満をあげるとしたら、第二部京都篇の内容がどうにも焦点がボケて微妙だった点だ。
これを「会津編が長すぎたから」で終わらせる向きもあるが、自分はそうは思わない。
確かに配分がおかしかったとは思うが、会津が朝敵にされて滅びるまでの過程はあれくらい丁寧に描かないと、当時の事情を薩長史観でのみ見ている人に納得させるのは難しいからだ。

たぶん物語として第二部は新島襄を中心とした物語であるべきだった、と思うのだ。
なぜなら、新島襄、松平容保、山本覚馬、山川浩、山川健次郎という、明治編の縦糸となったこれらの人物群の中で、ただひとり「武士であることを否定した」武士が新島襄だからだ。

武家の理屈で成り立っていた旧時代が終わり、想像を絶するスピードですべてが変化していく新時代に、旧武士達は薩長も会津もなく右往左往する。それまでの価値観の崩壊と、自我の目覚めうんぬんについては(ヘタレ蘆花の)駆け落ち回で書いたとおりだ。
しかし、新島襄だけは最初から身分社会を否定し、武家の理屈から脱却しているのである(なにしろこの男、武士の魂たる刀を渡米中に売っ払っている)。

なぜ彼が密航してまで祖国を脱出したのか。なぜ武士であることを否定し、キリスト教徒になり、そしてなぜ学問をもって祖国を復興しようと考えたか。
その新島襄をきちんと描けていれば。
さらにいえば、幕末に吉田松陰が投げかけた「西欧文化の取り入れと学問による改革」という問いを、明治に受けて実行しているのが新島襄だともいえる。
そのへんの筋がストーリーの中で描かれていたなら、第二部はもうちょっと収まりが良くなったのではなかろうか。
そこんとこちょっと残念だった。

まあ、そんな重要なはずの襄先生がエピソードはしょられまくった脚本であってすら、オダギリジョーという役者の存在感は十分に視聴者に伝わったようなので、とりあえず良しとする。

オダギリ良ければすべて良し!(結論)

131219-blog1b.jpg


それはそれとして、作品全体の総評を過去まで遡ってまとめる気力はもう残っていないので(笑)今回の突っ込みどころをあげると

1.ラスボスが蘇峰かよ!
2.蘆花wwwどの面下げて「人間の真実」とかwwww

3.慶喜公とユカイな仲間たち

あたりなんだが、1、2らへんはもう省略する。この兄弟には本気で突っ込むほど興味ない(酷)
なんたって慶喜公・春嶽公・勝センセイ、これですよこれ!
もー、ちゃっかり撮りおろしのシーンなんか入れてもらっちゃってこのおっさんたちは憎めないよなーw もうおまえらまとめて地獄行き決定な!

とりわけ、再三辞退してるにも関わらず病床の殿を叩き起こして口説くわ脅すわもうその時点で有罪確定なわけだが、最大の悪行は御家訓を盾にした脅迫行為!
「あの愚直さが仇とならねばよいが」
とかどの口がいうのか春嶽公! お前だ、お前が諸悪の根源なのだ! あの世で横山様と西郷様に簀巻きにされてくるが良いわ!

そしてゴリ押しで守護職受けさせた容保様の忠誠を主上と張り合って嫌がらせのストーカーもどきまでしておいて、いざ敗色濃厚となると速攻で切捨ててその理由が
「会津の愚直さが怖かった」
じゃねえぞ慶喜公! あいかわらず論点のすり替えが上手すぎて笑うしかないじゃねーか(笑)

そしてその慶喜公のあとをついで会津を人身御供にした勝センセイ。
憎めないけど好きにもなれないんだけど襄先生にツンデレだったしまあ許そう。生瀬さんの声好きだし(関係ない)
「信義で結ばれた主従の絆が、わしには手に入らぬものであった」とか自虐ネタとばす慶喜公に黙って平伏ってそれ無言の同意? 同意だよね? あれか、「御意~」ってことでよろしいか?

なんだかんだいって最終回まで突っ込みいれさせてくれる慶喜公は、ある意味「八重の桜」ベストキャラではなかろうか。

ところで、ラストシーンが「意味わからん」「天を撃つって天に唾してんの?」という意見を見かけたけど。
あれって天を撃ったのか? 立ち込める暗雲を撃ったんじゃないの?
「闇の中にも小さな穴がひとつあれば、光がひと筋差し込んでくる」という、会津城攻防戦の最中に山本父が残した言葉を受けた象徴的なシーンだと自分は思ったんだけど。
時代におおいかぶさる暗雲を「蹴散らして前へ進め」というメッセージだよね?
そんなにわかりにくいかなあ。
つーか何でもかんでも説明してもらわないとわからんのか? 自ら考える人であれと、襄先生も山本兄も言ってたろうに。近頃の若いもんはぶつぶつ(爺)

まあ、なんにしても久しぶりに一年間楽しめる大河だった。
襄先生が天に召されるシーンでは号泣しそうになったし、殿や山本兄の逝去回は感動したし、西郷様との再会では思い出の会津効果でうるっと来たけど、ラストでは涙の気配もなかった。
だが、この明るくて前向きで、その底に人間のしたたかさがある雰囲気こそが「八重の桜」だなと思う。



ちなみに最終回直前のスタジオパークでVTR登場したオダギリ。
49回での襄先生の幽霊シーンは本人的には「必要ない」一択だったようだ。

131219-blog2.jpg
思った以上に天使成分は抜け落ちていたw

Comment

chizu says... ""
私もいろいろ思うことありますが
「オダギリ良ければすべて良し!」
これにつきます。
うまいなあ。

新島襄にオダギリジョーをもってきたところで満足だったんですよね。
是非、襄にジョーをと希望メールを送ってたので
ありがとうNHK。よくやったと。

去年の今頃はわくわくしてました。
2013.12.19 17:05 | URL | #CjlWd7YA [edit]
rose says... ""
>chizuさん
そうですそうです、ドラマ視聴後不満や悪口語るなんてもったいないですよね。楽しかった部分だけ覚えておれば幸せな記憶になるんですから!
この呪文、世界から争いごとを無くす効果があるかも(笑)とりあえずオダギリファンに限ってですが。

去年の今頃は悶えてましたねえ。会津に加えてオダギリだなんてもうもう来年はなんも手につかないわ!って思ってたけどほんとに何も手につきませんでした。
「襄にジョーって駄洒落かい」と照れ隠しで騒いでましたが、なんとchizuさんの仕掛けだったのか!(笑)
2013.12.19 22:56 | URL | #4SZw2tfw [edit]
NICO says... ""
終わりましたねえ~しみじみ。
いやあもうあれもこれも良くも悪くもツッコみたいところたくさんあって、なんとも楽しい一年間でした。
襄はもうね、あのドラマの中であれだけ異質な人間をよくもまあ上手くぶちこんだもんだと感服いたしております。
オダギリだからできた役でしたねえ。
そういう意味では脚本やキャスティングやら総合力でハナマルなドラマでした。
で。
天に唾って…。
どう見るとそう思えるのか不思議なこともあるものです。
未来にむけてぶっぱなしたんだよ!
現実に風穴開けたんだよ!
八重さんが持つ武器はソレなんだよ…とは思わないのか。
そういう感想に配慮して、今後アマアマな説明ドラマに大河が戻らないことを切に願います。
roseさん、感想お疲れ様でした♪
2013.12.19 23:12 | URL | #- [edit]
rose says... ""
>NICOさん
不満や願望をあれこれ述べたくなるくらい、出来の良い作品だったという事ですよね。
脚本の山本氏が「なぜ大河は一年半じゃないのか」とおっしゃってたらしいですが(笑)、確かにそれくらいのスパンが必要な内容だったと思います。通常戊辰までで終わる幕末ものを、明治半ばまで、二時代ぶん突っ込んだんですからねえ。

しかし一年物の脚本てのはほんとに大変なんだなあと思いました。
八重さんは(兄に言われて)武器を、銃から学問に変えたんだよね。ほかにもそういう、結論につなげた伏線がたくさんあったのに、それを視聴者が拾えないのは残念です。
ドラマを楽しむには制作側だけでなく、視聴者側の努力も必要だと思いますねえ。

しかしまあ、後半オダギリ三昧だったし、会津をほとんど知らない人たちもこれで脳裏に「会津は逆賊ではねえ」が焼きついたようだし、めでたしめでたしです。
NICOさんこそ一年間お疲れ様でした。
2013.12.20 01:47 | URL | #4SZw2tfw [edit]
sannzi says... "一年間、解説"
有難うございました(^^
お蔭で努力しない視聴者としては、随分気づかない部分を教えてもらいました。
例えば最後のシーンは、流石に天に唾するとは思わなかったものの、唯のかっこ付けかな?位に思っておりました。

特に武士の世界から近代への、自我の目覚めの意識の変遷描写には、努力しないまま観ていては気がつかなかたっと思います。

ちなみに此方では大山何某が大層ヨカニセだったのが好評だったようです(~o~)
実は私も内心よい配役であったと思っておりました。

>オダギリ良ければすべて良し!(結論)

に免じてお許しください(^^
2013.12.20 21:28 | URL | #u2lyCPR2 [edit]
rose says... "こちらこそ!"
>sannziさん
毎回独断と偏見まみれの超いいかげんな感想にお付き合いいただいて有難うございました。コメントが励みになりました。つーかsannziさんいなかったら途中で力尽きてたかも!(笑)
身近に薩摩人がいないもんで、いくら会津スキーとはいえ歴史視点が偏りすぎてはいけないと注意はしていたのですが、sannziさんが読んでくださると思うと冷静になれました。

そうか、やっぱそっちではGTO(グレート大将大山か?)弥助ウケてましたか。
自分としてはあの大山はむしろ桐野利秋のイメージなんですよ。男前で磊落で身分の上下にとらわれないあたり。脚本的には捨松さんとのエピがあるし、長生きするしで大山にスポットあてたのはわかるんですが、

せめて会津開城で男泣きに泣いた半次郎を見たかったっす!

全体に、会津が主役といいながら薩長にも大変配慮の行き届いた内容だったと思います。そりゃ第二部は完全に新政府側の新島先生ストーリーですから当然なんですが、おかげで幕末ドラマとしては異例なくらい公平でしたね。
薩摩のイケメン偏差値の高さにはあきれましたが、オダギリが良かったので許しましょうw

さ、これからは脳みそをPoserに戻して創作活動に励まねばなりません。これからもよろしくお願いします。
2013.12.20 22:45 | URL | #4SZw2tfw [edit]

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