Poizon of rose

蜜×毒なイラストとかOJとか

大人だろ、勇気を出せよ。

Posted by Lazyrose on   2 comments   0 trackback

「素敵な時間はいずれ終わる」
そのうたい文句どおり、とうとう最終回がやって来た。タイトルは「忘却」。

すでにさくらやは売却され、おばあちゃんは施設に行くことを太郎に告げる。
裁判の結末をことさら描くでもなく、閉店に至るまでの経緯も、おばあちゃんの最期に間に合ったのかすら描かれず、余計なものをそぎ落とした脚本は、それだけに本当に伝えたいテーマをシンプルに視聴者に伝えてくる。

「裏切られたような気分だよ」
そんな風に傷つきながら、もちろん太郎にだって「それしかない」って事はわかっている。
わかっているけど、現実にどうする事もできない自分が情けなくて、悔しくて、「いつかきっとさくらやを取り戻す」と決意して、決意のままにたぶん5年間、がむしゃらに働いて働いてがんばってきたんだろう。
たった5年でもっさりした太郎は超絶イケメンシェフとなり、自分の店をオープンし、三枝は人気女優を連れまわすイケメン脚本家に成長した。
きちんとした大人として仕事をして、成功して、毎日忙しくて、ネクタイ結んで。

でも、そこにおばあちゃんはいない。
世界の問題に悩み、天使に噛まれた太郎と三枝はもういない。
「お前達はそこでゆっくり考えればいい」と武蔵が言った、あの裏庭はもう存在しないのだ。

三枝は嘆く。
「忘れてくんだよ、どんどん。忘れるんだ、大切だと思ってたものをさ‥‥昔はあんなにはっきり見えたのに」

だが、これは決して「後悔」の話なんかではないと思う。

大人になるという事は、何かを切り捨てて何かを選ぶ事だから。
あのままおばあちゃんとふたりの生活を続けていたら、早晩借金でもして家を失って、むしろ悲惨な未来が待っていただろう。
おばあちゃんとさくらやを守っていた太郎は、そのふたつを失う事でオーナーシェフとして成功し、小洒落たマンションで礼子たちと幸せな生活を送っているのだ。
決して間違いなんかじゃない。
おばあちゃんよりも先に礼子に天使の声を聞かせたいと思った時、もう太郎は選んでいたのだ。
そして、それを選び取ることをおばあちゃんも望んでいたのだから。

ただ、日々の忙しさに、施設に行くことを延ばし延ばしにしていた。
それは太郎が選びそこなった幸せだ。
太郎が選べなかったから、太郎を守るためにおばあちゃんは切り捨てられる道を選んだ。そのおばあちゃんを、今度こそ太郎は自分から切り捨てていたのだ。

視聴者にとっても胸に突き刺さるこのラスト。
太郎はおばあちゃんの最期に間に合っただろうか。

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「後悔?」
「まあね」
「あたしにもあるから大丈夫よ」

これはそんなドラマだったと思う。

三枝とシマさんと武蔵から開店祝いがきてた。
時が進むのを怖がっていた太郎の時間は進み、時が止まったような裏庭はなくなり、でもそこには新しいさくらやがある。
太郎の大切なものはちゃんと残ってるし、増えていく。これからは、太郎が春馬に幸せな時間を与える番なのだ。
大人なんだから。もう大人なんだから。


ただ、頼りないけど、いつも相手に寄り添ってくれた、あの優しい太郎がもういないことが、とても切ない。
のんびりと寄り添いあって生きるふたりの情景は、駆けつける太郎の回想なのか、それとも容態の悪いおばあちゃんがうつらうつらと見ている夢なのか。


「おばあちゃん、今日もぜんぜん客来ないねえ」
「そうねえ」
「‥‥お茶でも飲む?」

151227-blog1.jpg

Comment

sannzi says... "とうとう最終回、そして涙・・・"
子供の頃から涙腺が弱くて、泣きそうな映画は恥ずかしくてよう映画館では見られないくらいでした。
ラストのおばあちゃんと二人並んだシーンは涙無くして見られないですね。
自己犠牲と人生の悲しみ、そしてなんと心優しいおばあちゃん。
このドラマのヒロインは礼子ではなくおばあちゃんだったのではないでしょうか、とふと・・・

「おばあちゃん、今日もぜんぜん客来ないねえ」
「そうねえ」
「‥‥お茶でも飲む?」
とこの会話だけで再び落涙しそうです。
画面や音楽だけ見たり聞いたりしたらほのぼのしたシーンだけど、結構強烈なラストシーンとして記憶に残りそうです。
2015.12.28 22:55 | URL | #u2lyCPR2 [edit]
rose says... "日ごろ血も涙もない鎌ペンですが"
>sannzi
自分が書いたこの感想を読み返してはそのたびに号泣しているばか者ですこんばんわ。

「おばあちゃん、ごめん」までは余裕だったんですよ。
そこまでは冷静に「だから日ごろ無理してでも年寄りには会っておけと小一時間…」などとつっこんだりして、あそこで終わってたらこの感想はまったく違うものになっていた事でしょう。

まるで「いつものオープニング」のように、さくらやが開いていておばあちゃんと太郎がふんわり笑いあってるあの情景見せられたとたんに涙が止まらなくてあ、いかん今もまた涙がッ!

というわけで、ワタクシの涙は断じて「おばあちゃんの最期」に対してではなく、「太郎とおばあちゃんが幸せだったあの頃」への涙なのです。
普通の大人になって、大切なものを忘れた太郎の後悔になど、実は一切同情しておりません。
誰だって犯す過ちですからね。
おばあちゃんの決意も、ある意味親世代であれば誰もが「子供を犠牲にしたくない」と思うものですから、せつないけどすがすがしいと割り切れなくもありません。

やっぱ、あの「太郎とおばあちゃん」がもういない、という事が悲しいです。
過去になってしまったからこそ、あの光景がこんなにも愛おしくて切ないんですねえ。
1話2話の頃は「太郎早く成長しろよ~」などと思っていたのに、最終話のラストシーンで「あの頃の太郎に会いたい!」などと思います。

おっしゃる通り、これは「太郎とおばあちゃん」の物語だったと思います。
2015.12.29 01:21 | URL | #4SZw2tfw [edit]

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