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蜜×毒なイラストとかOJとか

「第10回和風展」その2 やっぱり反省会

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和風展開催中
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コメント投稿は2016年4月7日(木)23時59分まで。

さて、ホトトギス縛り2作めは時代を遡って戦国一の美女お市の方。

「北の庄」
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お市の方のこの辞世に対する夫・勝家の返した辞世が

夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす

「短い夏の夜も終わり、ホトトギスが鳴くのでもうお別れしなくては」というお市に対し、
「はかない夏の夜のような人生、この名を高めて(世に)伝えよホトトギス」という勝家。
北の庄でのふたりの暮らしは実に短く、悲劇的な最期をとげるものの、彼らの辞世は潔く、涙を誘う。

古来「死出の田長」といわれるホトトギスの声は、落城を前にしたふたりの耳にもあきらかに黄泉へといざなうものだったのだろう。

勝家と市の再婚の経緯はあまりはっきりしていない。信長の死後、庇護を求めての縁組かもしれないが、25歳の歳の差婚だとか子連れだとか色々な要素はあっても、意外と円満な夫婦仲だったのかもしれない。正直この時代の婚姻に関しては現代的な視点では語れない。
よく「お市の方は秀吉を嫌っていたので勝家に嫁ぎ、最期は自刃を選んだ」という説をきくが、まがりなりにも武家の女性が好きだの嫌いだのという観点でそういう判断を下すとは思えないし、大事な娘三人を預けている以上秀吉に対するある種の信頼はあっただろうと思う。
やはりこれ以上生きていても仕方がないという思いや、政争の道具としての人生の中で自分を受け入れてくれた勝家への愛情などがあったのではないだろうか。

というのがこのふたりの辞世から伺えるような気がする。
なので、夫婦の歌を連れそうように重ね合わせてみた。

さて戦国一の美女。V4でお市の方。
なにしろベースのV4は白人なので平たい顔族的にしなくてはならんが、本気で平たい顔族にしすぎると「戦国一の美女」にならない(笑)
というか、兄である信長の、数多ある肖像で最も信頼のおけるといわれるイエズス会宣教師の画家による肖像画(三宝寺所蔵)を見ると、鼻筋が通ったかなり彫りの深い美形なので、たぶん妹(これにも異説あるが)である市も洋風の顔立ちだったんじゃないかと思える。
なのでそこそこふんわりした和風美人顔にはしたが、あとは和化粧テクスチャでしのぐことに。

ちなみにこんな感じ。
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眉についてはちょっと悩んだ。戦国時代前半までは平安時代でおなじみの眉を抜いて墨で描く「引き眉」だったらしいが、後半になると自前の眉を残すようになっていたらしい。時々時代劇でお市の方や淀の方が普通の眉化粧をしているのを見かけるのはそのためだろう。しかし過渡期であるし、ふんわり置き眉の方が上流階級のはかないご婦人のイメージとしてはあっている。

もうひとつ、着物のテクスチャもがんばってみた。
藤の花をモチーフにしたのは、とりあえずお市のイメージに合うということと、ホトトギスの鳴く季節ならちょうど藤の咲く頃合だからだ。実際に旧暦の4月24日の越前に藤が咲いていたかどうかは不明。

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実はこの絵は3月半ばにはほぼ出来上がっていたのだが、最後で躓いて投稿できずにいた。背景の色だ。
実はこの絵、資生堂のポスターでおなじみ鶴田一郎氏のように仕上げたいと思って、パキッと原色でいきたいなーと。

どの色にしよう‥‥(´・ω・`)
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落城をイメージした赤も捨て難いが、お市にふさわしいのは白という気もする、しかし白は1作目で使っちゃったし、「夏の夜」だからして夜中の黒か夜明け近くの濃紺も‥‥などと悩んだあげくなぜか紫になった。なんでだろう‥‥(笑)

そんな「北の庄」の背景問題を抱えたまま取り組んだ3作目は幕末。

「1869HAKODATE2」
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「2」でおわかりのように当然ながら「1」が存在する。
そもそも和風展がはじめて開催されたのは2007年3月。なんと今年で10周年を迎えたのである。
これはすごい事だ。
日本のPoserの展覧会でここまで長く続いたものは他にないのではないだろうか。
正直、絵という表現手段を持つ者にとって自作を投稿し、多くの方に閲覧していただける場というのは、成長と自省を促す何よりの機会だ。いまやPoser関係者がこぞって参加できる大掛かりな展覧会は他になく、主催者であるhisayanさん、T2さんには心からの感謝を贈りたい。

‥‥というような気持ちもあって、第1回めに投稿した作品の自分オマージュな感じで。

「1869HAKODATE」

「和風展」といわれて洋装の土方歳三が出てくるあたり、当時の自分もほんといい加減というか(雪降ってるし)好きなものしか描かないというか(笑)
思えば「和風ってなに?」「Poser絵をどこまで普通の絵にできるか」という自問と戦い続けた10年間であった(遠い目)
今見るとお恥ずかしい出来だが、果たして10年経った今、あの頃から少しは進歩したのかというといいや全然みたいな(遠い目)
め、眩暈がするぜ‥‥。

と、そんな反省はおいといて。
戊辰戦争で自分が最も好きなのは土方と容保公とこの中島三郎助だ。
幕末史に興味がある人でも意外と知られていない中島だが、詳しいことはぐぐってもらえればわかると思うが、そもそも浦賀奉行所の与力でペリー来航時に副奉行として直接交渉にあたったという、実はかなり重要な地位にある幕臣だ。

造船学、航海学、蒸気機関学、砲術を学んだ優秀な技官でもあり、外交交渉に長け、日本の近代化にたいそう寄与した人物でもある。宝蔵院高田流、北辰一刀流を学んだ武芸者で(ちな天然理心流もな!)
だからといって旧弊なタイプではなく幕府の攘夷方針に断固反対した開明派で、彼を師と仰ぐ桂小五郎、もとい木戸さんがその死をいたんで号泣したという、そりゃあもう佐幕派、倒幕派の別なく慕われた人物だ。にもかかわらず、戊辰では開陽丸ぶんどって奥羽越列藩同盟に与し、五稜郭にわたり、一本木で副長が死んで弁天台場も陥落し、榎本の慰留を蹴って息子ふたりと共に千代ガ岱陣屋で壮絶な戦死を遂げた男の中の男。
カッコよすぎる!
砲術のスペシャリストなのに最期は斬り死に。
イケメンすぎる!!

そんな彼の辞世がこの絶唱。
郭公(ほととぎす) 我も血を吐く 思ひかな

10年ぶりに戊辰を描くということで、副長と並ぶ最後のサムライ中島三郎助の肖像をぐぐってみた。
‥‥かなりのイケメンだ。
なにこれ美味しい。しかも洋装。DC着物使わなくていいぞステキすぎこれは楽勝だ!

‥‥とか思っていたら、ケープとコートがDCという落とし穴orz
何が大変ってこの、コートのヒラヒラよ!

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普通に着せるだけならどうってことないのについうっかり格好よくはためかせたい! とか思ったせいで、ウィンドフィールド使ったらこれがまくれあがりすぎる。仕方がないのでコートの布密度大きくしたら今度は袖がのびすぎるとかもうね‥‥もう‥‥DCでうかつにパラメーター調整はしない方がいいというのはよくわかってはいたんですが40回くらいトライしました。やっぱりDC嫌い(´;ω;`)

で、まあとりあえず形になったところで普通にレンダリングしたのとスケッチレンダリングしたのとHDR的な加工とかしたのとかをレイヤーで重ねて、

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どうとかこうとかしてあんな感じに(面倒くさくなってきたので省略)
そんで、背景を劫火っぽくしようと思ったのだが、ただ火があるだけではなんだか物足りないので幕府滅亡の象徴として葵の御紋を、

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‥‥燃やしてみたw

そんで気がついた時には投稿最終日の3月31日の23時くらいになっていてだな!
やべえと思って「北の庄」をとりあえず完成し、次いでこの3作目を完成させ、さあ投稿するぞと思ってからコメント用意してなかったことに気がついて涙目でものすごい勢いで書き込んで突っ込んだ。

‥‥安定の23時59分であった。

とりあえず初日投稿は果たしたが、最終投稿の呪いは解けておりませんでした。
そして「まあでもとりあえず間に合ったぜ今年は優秀だったな俺様」とかのんびりくつろいでいたらはるさんのコメントで

タイトル間違えていた事に気がついた。

「1986HAKODATE2」って何やねん! どんだけ近いんじゃ戊辰戦争!(笑)
やはりギリギリの投稿というのはいかんですねえ。
まあ、はるさんが「4月1日ですもんね」とナイスなフォローをしてくださったので、え、ええ、ええそういう事でひとつお願い‥‥できませんか! できませんよね!
せっかくの10周年のラストにとんでもないオチつけて大変申し訳ありませんでした!

そんなこんなで「ホトトギス」三部作。
色々探した中で、非常に美しく死を歌った句を、その人物もあわせて特に心に響いたものを選んでみた。

(余談)
実はもうひとつ候補があって、やはり戊辰戦争時なんだが

時鳥 血爾奈声盤有明能 月与他爾知人那起
(ほととぎす 血に鳴く声は有明の 月よりほかに知る人ぞなき)

かの久坂玄瑞の辞世だ。
久坂という人物の苛烈な生涯もまたとても美しいと思う。切れ者で美声でかなり美丈夫だったという玄瑞をやるならやはり一也だろうなと、思いはしたのだが‥‥

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‥‥そんなわけで(笑)

それにしても「ホトトギス」三部作とかいって、よくよく考えたらなんだか10周年にふさわしくない不吉シリーズになってしまった(笑)
苛烈で華麗で筋の通った人生を送った人々の、死出の旅路を寿ぐホトトギス。
しかし、和風展がこれで旅立ってもらっちゃ困るので(笑)

劫火の中から新生日本が産まれたように、「和風展」も新たな歴史を切り拓いていただきたい

と微妙にわざとらしいが添えておく。
ぜひとも来年3月には11回めの開催を祝う投稿をしたいものだ。

Comment

HONEY says... "お見事です"
いやあ、初日から千秋楽まで、roseワールド堪能させていただきました。
中島三郎助って知らなかったんですが、浦賀奉行配下だったんですね…というのは、うちの母方の「由緒書」によると、幕末の頃の祖先が浦賀奉行所の同心だったそうで、まあ平のぺーぺー同心だったんで、戦争からもちゃっかり逃げて生き延びた口だと思いますが、ひょっとすると中島さんの下にいたのかも。
2016.04.07 11:56 | URL | #- [edit]
rose says... "恐れ入ります(色んな意味で;;)"
>HONEYさん
初日から千秋楽まで‥‥と言っていただけると何かカッコイイですが、HONEYさんのクレジット名間違えるわ最終投稿のタイトル間違ってるわ、もうグダグダでしたね‥‥orz

ちょっと待ってHONEYさんそんなバックボーンがっ!
与力が10騎くらいでしたよね。ひょっとするとひょっとするかもですねえ、うわあ~ロマンがこんなところに!
そういえば昔出入りしていた日本画の先生はおじい様が桜田門外の変のときにおっとり刀でかけつけたと、幕末百話みたいな話をされていました。身近に江戸の名残をきくと興奮しますねえ。江戸は地続きですねえ。
いつかHONEYさんとお会いして色々ご教授いただきたいです‥‥roseのひそかな野望です。
2016.04.08 00:27 | URL | #4SZw2tfw [edit]

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